Filed under: ウィーンのフォルテピアノ, クラシック・コンサート, 自分の演奏会から | Tags: fortepiano, from my concert, Sicily
先週は4日間、イタリア、シチリア島で過ごした。
チェファルという町でギターのダリオ・マカルーソと演奏会があり、シチリアに住むダリオにしょっちゅうは会えないので、様々な曲のリハーサルも予定して余裕をもって木曜日の到着だった。
出発前日に、リハは金曜日とコンサート当日の土曜日の9時から午後4時までできるようだと聞く。到着した木曜日の午後は私のフリーな一日となり、強い日差しの中で美しい町並みと海、静かな時間、雨降り続きで曇り空のアムステルダムとのギャップの大きさにゆっくり身体を慣らしながら、心を空っぽにして海岸で波を眺めていた。
金曜日の朝9時にホール前でダリオと待ち合わせ。
ダリオが「誰も来ないのでは、という予感がする」
そんな。。。?!何を言っているのだ。
オーガナイズの方が「リハーサルはできないよ」と一度言っていた、という話を聞いた。でもダリオがそれでは困る、とがんばりなんとか二日間の同意をした。
ところが誰も来ない。。。
ダリオがオーガナイザーに電話して、地元のホールのドアを開けてくれる人に連絡を取る。なんとか連絡がついて、10時頃に開く。
ピアノを見ると、修復したてのような、ぴかぴかの外装のJosef Simon がカパーをかけられてステージの片隅にあった。鍵盤は開いたが、鍵がかかっていて調律をする部分のピアノのふたは開かない。どうやって調律するの?
Josef Simon (ca 1840) Viennese piano
しばらくしてホールのステマネ(?)のおじさんが鍵を見つけてくる。
低音がとても狂っており、いくつかの音は半音ほど違う。
ピアノの調律は?
「カオル、ピアノの調律は今日の4時に来るって」
だってリハーサル4時まででしょう?!?!
狂ったピアノでは2、3時間弾くのが集中力の限界だった。
狂った音をタッチしないように、一オクターブあげてみたり、音をぬかしたりしているうちに音楽に集中できなくなる。ダリオも私も絶対音感がなく、ピッチがわからない!
430よりは高いような気がする。ダリオは430に合う、弦を持って来ていたのにそのピアノの鳴りに合わないようで、さらに狂っているので神経にさわるようだ。
また半日フリー。。。。
こんどはマンドラリスカ美術館やドゥオモも見る。でもあまり歩くと疲れるので、早めに夕食。アパートに戻り、子供のマフラー編みに集中。。。
こういう時、本を読む気もしなかったり、観光する気もなく自分の家でない場所で過ごすのに、編み物はびったりの新しい趣味である。
その日の4時に来た調律師は実は地元に住むピアニストで、調律もできる、という方だった。次の日に1時頃から30分ほど演奏するので、調律をしてその後ヴァイオリンとリハーサルするという。だから土曜日は1時半頃から使っていいよ、と。
ということは結局コンサート当日の1時半からの数時間が私達に残された時間。
でもまあ、新しい曲は一曲だけであったので、なんとかなるだろうか。
1時前頃に行って、そのミニコンサートをチェック。
ひどくピアノが狂っている〜〜〜〜〜
なんだか心が乱された。
彼の演奏後、直談判に行く。「お願いだから、調律ハンマーを貸してください。このピアノで私達のコンサート、今晩するのは不可能です」
「でもボクこのハンマーこれから使うから貸せないの」
「それでは困ります!」
「1、2時間でもいいから、使わない時間があったら、貸してくれませんか?」
「じゃあ、5時に取りにくるから、それまで使っていいよ」
彼も調律がひどいことはわかっているらしいが、目の前でちょっとまって、と直していた一音もオクターブが合わないままで、さらに中から高音域は昨日よりひどい。
「今ホールに人が入っていて気温が上がり、湿気もあがっているからすぐに調律しないほうがいいよ」と。
その通り。。でもダリオがくる前に少しでもまともにしておかないとまたリハにならないので、調律から始める。1時間半集中。。。。6オクターブ半の慣れない楽器とハンマーな上、最初の1オクターブの割り出しもなかなか安定せず、時間がかかる。終わってから気がついたが、ピンが緩んでいる音がいくつもあり、調律しても戻ってしまう音もある。でも昨日よりはマシな状態に一度戻す。付け加えると、すべてのA(ラの音)が違い、どのピッチが430なのか分からず終いで、彼が昨日合わせたという真ん中のAにあわせた。
ダリオと3時半から1時間ほどあわせると、ピアニストの彼がハンマーを取りに戻ってきた。ちょうどピアノもまた狂い始めた音もあり、待っていてもらって15分だけひどい音だけ直す。
でもでも、、、これでやるしかないのか?!
20ー30分もう一度いくらかリハをして、さあもう着替えなきゃ。。。
開演15分ほど前に、オーガナイザーグループのエレガントな老紳士や関係者が次々とご挨拶に来られた。4人くらいは来られただろうか。
心の中では「お願いだから集中させてくれ。。。。。!」
コンサートはテンションをあげて、集中して演奏。
お客様もまあまあ入り、キャパ200ほどの劇場の一階席はほぼ満席のようで良い雰囲気のコンサートになった。とても喜んでいただくことができアンコールも一曲演奏。
ただ狂った音はもうどうにもできない。
プログラムの後半になりもっとひどくなってきた低音もいくつかあった。
ピアノという楽器は調律ハンマーがないとどうにもできないところが非常に不便でもある。
でもでも、この企画はどうなのでしょうか?!
とくにオリジナルの楽器の場合、保存状態と何ヶ月も弾かれていないのか、使われているのかによって大きく変わる。後から知ったのは、数ヶ月間誰も弾いていないフォルテピアノであった。オリジナルで演奏会がある場合は、最近弾かれていない楽器、ということもあるので、早めにいって楽器と知り合い、目覚めさせて、お友達になってから演奏会に望みたい。できれば、リハーサルを始める前に一度調律しておいてもらいたい。。。。そして演奏会の直前にも。これは贅沢だろうか?!
調律師が手配されなくても調律ハンマーがこの町にあったのならば、わかっていれば自分で木曜日に一度調律することもできた。(したいわけではないが、狂ったピアノよりはいい)
企画の方々は挨拶に来られて「調律のこと、アイム・ソーリー。」口々に話していた。チェファルでの毎日は怒る気にもならず、自分の集中力が乱されないように必死だった。滞在して素晴らしい町も見ることができた。120年ほど前に建てられたという会場は、劇場で素晴らしかった。裕福な町なのだろうか。調律が、、、と真剣にかけあったところで「のれんに腕押し」みたいなことは目にみえる。シチリアには独特な時間が流れていて圧倒的な島のパワーみたいなものがあって、許してしまうというのか、あちらのテンポにあわせるしかないのである。
ヨーゼフ・シモンは修復された、素晴らしい楽器だった。きちんと調律した状態で聞いてもらえなかったのがとても残念である。またぜひ再会したいなあ。
この4日間で完成した息子へのマフラーがもう一つのひそかな喜びであった。
日曜日のオランダのドレンテ州にある町、メッペル(Meppel)でスタバト・マーテル(ペルゴレージ原曲ーバッハ編曲版)のランチコンサート。
この4月はカメラータ・アムステルダムという室内オケの通奏低音で参加させてもらっている。
スタバト・マーテルの最後の楽章 ’アーメン’ でホール内の照明が消えた!!
一瞬ざわついて、、、でも「ここで止まってはいけない、、、、」とできる限り弾き続ける。
幸い同じフレーズを違う調で繰り返すような部分だったので、なんとか最後まで行き着いた!2、3分だったか。
皆ちょっと間違いながらも、、、。ソプラノとアルトの二人は「アーメン」の歌詞のみだったから、グッドタイミングなハプニングだった。
もしもっと曲の真ん中で照明が消えていたら、、、コンサートを終了できなかった欲求不満で夜眠れなかったに違いない。
原因はメッペルの町中で起こった停電。
お客さんも、ステージの音楽家12人あまりも終わると同時に、大爆笑となり、大きな拍手をいただいた。
こういう経験数回したよ、、、というコンバスのロシア人ボリスや、指揮者もチェリストもこんなのは初めての経験だ、、と様々。
あー、びっくりした;;;
Filed under: イギリスのフォルテピアノ, クラシック・コンサート, 現代音楽/ contemporary music, 自分の演奏会から | Tags: amsterdam, fortepiano, from my concert, Koto
この演奏会はフォルテピアノが演奏会で頻繁に使用されている、数少ない場所でもあるヘールフィンク・ヒンローペンハウスという博物館にて行われた。1787年製のブンテバルトというテーブルピアノに、19世紀初期のブロードウッドのテーブルピアノ、それに1848年のロンドンのエラールという3台が現在演奏会で使用可能である。元々は、アムステルダムのコンセルバトリーに常設してあった、スウェーリンク・コレクションというフォルテピアノコレクションからの楽器であったが、音大が引っ越しした後に楽器コレクションの置き場はなくなってしまったため、コレクションは現在ではいくつかの場所に分散してしまった。
この博物館にもらわれた(置かせてもらっている)3台はとても幸運な楽器である。今では移って来た当時とでは比べ物にならないぐらい、命が甦り、声を発し、歌を歌えるようになった。最初の頃の半分眠った、ちょっとふてくされたような楽器が、笑顔になったように感じる。
楽器の調整はまだする余地はあるが、フォルテピアノの学生から卒業生まで何度も演奏会に使われ、愛情を注がれて、17世紀そのままのような見事な内装の建物内で、絵のように美しく納まり、でも活きた音楽を奏でられている。
現在3月末までの「日本展」の一環で、昨年ダイレクターの方に何か日本の楽器を取り入れた演奏会をしたいのだけれど、良い案はないかしらと相談されたのが始まりだった。最初は邦楽の演奏という案も紹介したのだが、結局フォルテピアノと共演してしまったらどうか、と思った。
お琴はピッチの問題はA=410だろうが440ヘルツだろうが何でもすぐに変えることができ、調律法もフレキシブルであることがわかった。だが、まったく文化背景の違うところで育った楽器。デュオは可能なのだろうか?! という疑問で一杯だった。
一柳慧氏の作品がすでに存在するらしい。それはエラールで演奏してみよう。
さらに、あと4ヶ月ほどしかないというところで、どなたかこのデュオのために作品を作曲してくださる方はいないだろうかと探した。オランダ人女性作曲家のミランダ・ドリーセンさんが約束できないけれど、実験的にぜひやってみたいと快くお返事してくださった。そして、曲が間に合った!
ミランダの作品はテーブルピアノのために作曲してもらった。5オクターブの楽器で、ダンパーとリュートストップ、さらにテーブルの右半分の上部のふたが開閉できるタイプの楽器である。
ミランダの作品はシンプルでコミカルなイメージが最初と最後の自由なダイアローグ的部分に挟まれている構成である。それぞれの楽器の奏法を生かした作品で、特に彼女の指定した調律法によって和音の響きが面白くなる!
調律法は独特のもので、ここで全ては書かないがよくこういう調律法まで考えられるのだなあ、と感心するばかりである。
ただ、、ただ、、、調律に約1時間はみる。。。前日にも一度、当日の朝と直前にもダブルチェックした。。。さらにこの調律法にすると、ハイドンのソナタは弾けなくなった。。。のでプログラムも実はこの作品をいただいた後に変更した。ドレミファソ、、、が普通のドレミ、、のようには鳴らない。
一柳氏の作品とは全く違うキャラクターであり、どちらも演奏することによって、とても幅のあるプログラムとなった。
リハーサルしてみると、お琴はとてもシャープな音から柔らかい音、爪を使うのも使わないのも可能、強弱もエラールのグランドピアノに負けないフォルティシシモからテーブルピアノにぴったりな音量にできたりと臨機応変。
「びーん」とか「じゃじゃじゃん、、、」という爪ではじく、腰の入った日本的な響きはかっこいい!
結果、大好評に終わり、お琴とフォルテピアノの素晴らしい出会いの日はたくさんの方が聴きに来てくれて、皆で共有できたことがとても嬉しかった。特に、素晴らしい曲を作曲してくださったミランダ、ありがとう!
(3月21日にミランダの曲は再演予定。同じ場所で4時から。25分くらいのプログラムなのでたくさんはできないが、もしご都合のつく方はどうぞ!プログラムの半分はオランダ人女優二人による「枕草子」劇である。)
8月5日。とっても久しぶりのコンセルトヘボウ大ホール。。。
なんともぼけていて、間違えて小ホールに入って席を探してしまった。
偶然小ホールでもフォルテピアノの演奏会で、舞台の上のフォルテピアノを見つけてすぐにはわからなかった。そちらはロナルド・ブラウティガムのベートーヴェンピアノソナタの夕べだった。
でも私が聞きにきたのは、リチャード・エガーのモーツァルトのピアノ協奏曲 KV 415 ハ長調。
オーケストラは NJO Orchestra of the 19th century!
18世紀オケではなく、19世紀オケ?
これは10日間の若い音楽家のためのプロジェクトで、これまで一度も古楽器を演奏したことのない人たちが、プロジェクト中に招待された指揮者とともに勉強して、演奏会で披露、というものだった。指揮者はリチャード・エガー。
最初はハイドンの交響曲第101番「時計」。
2楽章の有名な時計のチクタクをファゴットと弦楽器がを刻むところ、アーテキュレーションがくっきり聞こえて、ピッチや発音があやふやだと、とっても聞こえやすい。。。絶妙な緊迫感と温かみが伝わる。
3楽章のメヌエットは3拍子の音楽で、3拍目が次の小節を誘い、どんどん、どんどんと音楽が気持ちよく流れてゆく。3拍目から1拍目への緊張感、ときには2拍目のアクセント、、とハイドンのリズム遊びをすごく楽しんだ。
そしてモーツァルトのピアノ協奏曲。
リチャード氏が最近購入したGijs Wilderom の楽器にも興味があった。
Gijs ーハイスさんはずいぶん前からとってもお世話になっているフォルテピアノ修復家、製作家である。ハイスの楽器は、ずいぶん練習やトライアウトもさせてもらっていたのでよく知っていた。
あの大ホールでどう響くのだろうか。
・・・・・とっても自然に素直にリチャードの音色になっていた。
まだ製作されて何年も経っていないこともあるかもしれないが、私にはピュアなイメージがあった楽器だったので、ハ長調がぴったりだった。
ハ長調の性格*(18世紀頃には、各調性にはその響きの特徴から性格付けがされ、調性格論を唱える人たちがいた)と言われる「純真さ」と同時に「威厳のある感じ」が1楽章の Allegro poco maestoso (速く、少し堂々と)そのものだった。
リチャードの演奏はまるで、楽器を愛しくなでているようだったり、オーケストラと混ざり込んだ管楽器や弦楽器に溶け込む音色を出してみたり、いろいろなことを感興にまかせて試す。そして音楽への大きな愛がそのまま伝わってくる。大ホールの人たちの心を温かさで一杯に満たしてくれたと思う。
力強さはあっても決して、楽器を叩かない。大きい音楽の中にあっても、チャーミングな顔が見え隠れする。即興が次の楽章を導き、肩の力を抜いて自然に音楽できるところが、フォルテピアノの演奏として、モーツァルトの協奏曲の演奏として、いい感じだなあ、と思う。
プログラム最後のメンデルスゾーンの交響曲「イタリア」は速めのテンポでパワフルに流れていった。
古楽器にまだ完全に慣れていないオケのようだったが、指揮リチャード・エガーの音楽を堪能した。
やっぱり音楽はハートだなあ。。。
バロック演奏会の次の日。日曜日のお昼12時からという時間に、Muziek Gebouw Aan’t IJ での演奏会を聴きにいった。最近 rising star として活躍中のハープ奏者 Lavinia Meijerと仲間達というメンバー。ラヴィニア以外は Aurelia Saxophone quartet とコンセルトヘボウの演奏家達。
ドビュッシーのフルート、ハープ、ヴィオラのソナタの後、ヴァイオリニストのTjeerd Top とラヴィニアによるサン・サーンスの「幻想曲作品124」。これが、すごかった。。。
特にヴァイオリニストの素晴らしい豊かな美しい音色と、その立ち姿の自然なこと、音楽の精霊が語りかけているかのようだった。もちろんモダンヴァイオリンだが、その音色が続く限り、涙が止まらなくなった。彼がパガニーニかモーツァルトのように見えた。もうこれで家に帰ってもよかった。。。即 Tjeerd のファンになっていた。
他には Carlos Michánsの作品でハープとサクソフォーンカルテット、ラヴィニアのスカルラッティソナタのソロ、 Joey Roukens という26歳の作曲家による Tjeerdとラヴィニアのデュオ。これもとても良い作品だった。 Carlos Salzedo の作品をラヴィニアのソロ。ランチコンサートの1時間くらいを想像していたのだけれど、盛りだくさんのプログラムで充実した演奏会だった。古い教会でのバロックアンサンブルもオランダらしくてよかったけれど、モダンの良いホールでのモダン楽器の演奏会も、細かい所まで綺麗に響き、そのゴージャス感もまた格別だなあ。
ラヴィニアは演奏の合間にも何度もマイクを持って話し、演奏会の後にはいつもお客さんのいるロビーに出てくる。とってもフレンドリーで存在感がある。初めて見たのは、朝のテレビ番組「おはようオランダ」(!)でだったが、これで3度目。こんな充実したプログラムをさらっとこなしてしまうなんて体力的にもタフなことだと思う。














