60、70代の知人の女性たちが、自分たちの頃の出産の体験談を聞かせてくれる。
「私は2日間かかった」「3日間かかった」「ワゴン車の中でさっと産まれてしまった」
「自宅でさっと産まれてしまい、夫が靴ひもを解いてへその緒をしばった」などなど。
さらに、当時は時間がかかったときには、「驚異のオイル」というのを薬局で買って来て飲んだ、という話も。(70代オランダ人)
そのオイルの原料はなんなのだろうか〜?
最近はきいたこともない。
それから oudse bruin beer という種類のビールを飲むと母乳によいよ、というのは3人から聞いた。
ビール飲みたいから、試してみたいが、アルコール禁止じゃなくてよいのだろうか。。。!
自分はオランダでは、「フリーランス」の音楽家という立場で、’ワンマンビジネス’(従業員がいない仕事)という登録になっている。日本では「自由業」にあたる。
アートに関する仕事の人ばかりでなく、オランダでこの肩書きの人に時々出会う。特に昨年お世話になったのは、大工さん。そして今回、助産師さんにお世話になった。
大工さんについてはまたいつかの機会に書くことにして、今回の出産でお世話になったのはフリーランスの助産師さんだった。
私が通っていた助産院には4人の助産師さんがおり、出産の際にはそのうちの一人が担当してくれることになっていた。
だが。。。。実際に「その時」が来たとき、助産院の緊急用の携帯電話にお返事をしてくれたのは、その日たまたま入っていたフリーランサーのピンチヒッター。
こういうことも、あり得ます、とは聞いていた。
だから初めて会う方が、緊急の破水に来た。誰が来ようと、助けてもらえるなら、、、という気分だったのでかまわなかった。
ただ、覚えているのは、一応土足禁止にしている家に、ずんずんとブーツで入って来て、ロングヘアーが動くたびにをぱさっと翻り、香水が漂っていたこと。
「ごめんね、香水あなたにはきついかもしれないけれど」とも。
てきぱきと仕事をして、風のように去っていった。病院に行くことになったとき、私達はタクシーで、彼女は自分の車で病院まで来てくれて、引き継ぎをして、また去っていった。
出産後一週間の間に、助産院から3回の往診があるのだが、偶然にも彼女が一度来てくれたので、お礼の挨拶ができた。
「昨晩も出産に立ち会っていてね。今朝もほとんど寝ていないの。」ととっても忙しそう。
ジーンズにブーツ、ロングヘアー。道ばたで出会ったら、普通のきれいなお姉さんで、彼女が今出産に立ち会っていてね、、、なんて誰もわからないだろうと思う。
フリーランサーは「ワンマンビジネス」の自分の会社だから、仕事着も、もちろん自由。でもこの仕事で香水って。。。妊婦は匂いに敏感なのである。
実際仕事をしている姿はかっこよく、楽しそうだった。
「自分のスタイル」的な働き方は、とてもオランダらしい。
記憶が鮮明な一日の中でも、とくに印象深い存在だった。
オランダでは出産後の約8日間、産褥看護士の自宅ヘルプが受けられる。(うちの場合は計49時間だった)これは、もしも出産後何かの事情で病院に3日間滞在したら、自宅でのヘルプは5日に減る。帝王切開などで入院が長引くと、自宅ヘルプはなくなるだろう。
毎日母子の健康チェックをしてもらい、授乳の指導や、赤ちゃんの体調の見方、お風呂の入れ方などを学んだ。うちに来てくれたソーニャはすばらしかった。先に述べた仕事の他、さらに三度の食事を作ってくれて、買い物、掃除、洗濯干し、アイロン掛けも素早くこなす。いつも以上に部屋がつねに片付いていて、タンスの中の赤ちゃんの洋服も一目でわかる。
ソーニャの作ってくれる、オランダ式朝ご飯はとってもおいしかった。オランダのboterham (オープンサンドウィッチ)ひとつでも、のせるチーズやハムの切り方ひとつで味わいが違う。


噂に聞くオランダ人の好きな「イチゴサンドウィッチ」。マーガリンを塗った白パンにイチゴのスライスとグラニュー糖。この組み合わせ、意外とおいしいのです。

ソーニャが毎朝来てくれて、私は自分の静養と赤ちゃんのことを学ぶのに集中できた。
5月4日夜中に無事に男児を出産した。陣痛がはじまってから約46時間後となり、その後体力回復に思った以上に時間がかかった。
母子無事に、病院にて出産。オランダらしく自宅出産を希望していたのはかなわなかった。
陣痛が始まって6時間後に助産師さんに電話したところ、「様子みて、話せなくなるくらい痛くなったら、もう一度電話ください」との返事。「話せなくなったら電話。。?!」
自分の陣痛が弱く、なかなか発展しなかったので30時間目、3日の朝9時に、助産師さんがとうとう家にきて、人口破水となった。その後、赤ちゃんが羊水中に便をしたらしく、その場合の約束どおり、午後2時半頃に病院へ行くことに。
緊急事態の窓からはしご車か、、、と思いきやタクシーだった。陣痛がはじまっていてもこの程度では緊急ではなかったらしい。(!)それでも「話せない」痛みの段階にきていた。
助産師さんが早急に病院の空きを調べ、3件目にしてやっとベッドの空きがあった。その間は痛みに耐えながらも頭のなかでどうなるのだろうとドキドキ。。そんなときに限って、タクシーでの道中、アムステルダム特有の運河の跳ね橋が上がったり、道路の通行止めがあったりで、永遠の長さに感じた。病院では助産師さんのアドバイスもあったので、さっそく麻酔をお願いした。この調子ではいつまでかかるかわからないからだ。脊椎の麻酔が効き始め、やっと正気に戻り「麻酔すればこんなに楽なんだ。。。本読みながらでもいけそう」と思っていたところ、1時間ほどすると、麻酔が左半身効かなくなってきた。さらに陣痛促進剤をいつのまにか、点滴されていたので、最後の2時間ほどはひどい痛みをしっかり経験した。
その間に麻酔がきいていません、、、と訴えたくて3度押したナースコールには、「今麻酔師さんが、手がいっぱいでこられる人がいないの、ごめんね」という返事。でも3度めに来てくれた時には、その痛みのお陰で次の「いきみ」の段階に入るとのことだった。いきんで、と言われてももう力が尽き果てて。。その時は夜10時半すぎ。ここで私がやめたら、赤ちゃんが出てこられない!とがんばった。赤ちゃんが、産婦人科医の手で取り上げられ、私のお腹の上にのせてくれたとき、くしゃくしゃの顔の赤ちゃんが宇宙からこちらに飛んで来て、着陸してくれたように思った。
「あー、終わった!!」
妊婦ヨガで練習した呼吸法はとにかくとても助けになった。呼吸法以外に痛みを逃れる方法もないのだ。点滴を腕に打たれて、身動きできないため、陣痛の受け取りも、出産するときも好きな姿勢で、というのは病院では無理だった。でも病院の施設のお陰で母子の命が安全に出産できたことには本当に感謝している。
陣痛促進剤もなく、麻酔もなく、母体の状態をチェックする医療機器もない頃には、たくさんの危険もあっただろう。
少し話はそれるが、友人の友人で、「自然なお産をする」コンセプトの施設で出産に望んだところ、同じように非常に長い陣痛となり、さらに持っていたヘルニアを併発して非常に痛みに苦しむことになったそうだ。病院にすぐ移りたい、と本人は言ったにもかかわらず、施設の人とご主人の説得により、その施設に残り、薬も使わなかったそうだ。
母子ともに無事だったらしいからよかったが、それは本当に痛い上、リスクもあったことだろう。
陣痛がはじまって、数時間ですべてが完了、、という出産に比べたら難産、と言えるのかもしれない。一度しか経験していないので、こんなものだ、と思えばそれでおしまい。大変でないお産なんてないだろう。
母子ともに二つの命が助かり、生きていること。本当に尊いものを授かった。赤ちゃんもものすごく疲れていたのか、産まれた日、次の日もしばらくずーっと眠っていた。小さな命もこんなにがんばった。
授かった命を一生懸命に生きていくこと、簡単ではないけれど、今改めて思う。