今日は子供が行っている保育所についてのお話。この近所に住むオランダ人にとって、この地域にある小学校とともに、この保育所は 「あそこはアントロポゾフィーantroposofie 系なのよね」 (英語 anthoroposophy)と言われる。そこはシュタイナー教育を取り入れている、という意味なのだがとても評判が良い。
保育所ではCélestin Freinet, Thomas Gordon, Rudolf Steiner の3人の教育メソードを組み合わせて取り入れている。入所のときにもらったパンフレットにも詳しく教育方針が書かれているが、おおまかなものとして「自然との触れ合いを大切にする」「季節の行事や、パーティ(誕生日、クラスが変わるときのお別れ会等)を大切にする」「規則正しい生活」など。先生方いわく、話し方もトレーニングされていて、「私ー型」の話し方を使う。たとえば、「私はそれはよくないと思うよ」「私には**ちゃんが階段遊びが好きだというように見えるよ!」「私はこうしたらよいと思うよ」などなど。
毎日おやつの時間には、グループの子供達と先生で、「季節の歌」をうたう。歌えない赤ちゃんも含めて、とにかく先生は歌い、身振りや手振りをつけて元気に歌って、それからおやつ。そういう儀式的な決まりを、規則正しい生活として子供に覚え込ませている感じである。
「動物の歌」を歌うときには、その動物のミニチュアおもちゃをテーブルの真ん中に置いて、見えるように。
保育所ではさらにできるだけ「自然食品」の製品を子供達に食べさせるようにしているという。たいてい茶色いパン(白パンは出さない)だが、約週に一度はピザや、パスタ(トマトソースのみの手づかみできるもの!)のスペシャルな日がある。
3、4週間に一度は、ある団体から来る音楽家が子供達に生の音楽を奏でてくれ、楽器を触らせてくれたりもする。「え、また来てたんだ、、、」というぐらいしょっちゅう。コントラバス、リコーダー、電子ピアノ。。たまにうちの子はお昼寝中で寝過ごしてしまったらしいが。。。
部屋の中に、じつは床のふたを開けたら、砂場が出現!そこなら冬でも天気の悪い日でも砂に触れる事ができる。自然のマテリアル、砂、水、、、に直に手を触れることを大事にしている。小さな滑り台が部屋の中にあるのだが、その上部分のスペースも床を開けると、そこはお風呂の浴槽みたく、水がためられるようになっていた!
生後2、3ヶ月の頃は規則正しい生活なんてとんでもなかったが、早くから保育所に入れてすこしずつそれに慣れたことは、子供が一歳になった今、それが身に付いているのでとってもとっても感謝している。子供が無意識である時代から、感覚のアンテナが張っていて、それがはぐくまれるように、保育所が対応しているのがよくわかる。意思も強く、表現もハッキリのびのびとする。こんな環境に入れさせることができたのも、ラッキーなことで、本当に幸せなことである。
親も参加の誕生日会(午前中のおやつ時間に。ウチがおやつ持参となる)
最近、’laatste loodjes’ (ラーツテ ローチェス)という表現を何度も何度も聞くので覚え、使っている。’Hoe gaat het met je laatste loodjes?’ とか ‘succes met je laatste loodjes!’ . とか。臨月の私の状況にちょうど使える表現で、直訳すると「最後の鉛」。「最後のひと頑張り、追い込み」という意味である。一つ目は 「最後のひと頑張り、調子は如何ですか?」二つ目は 「最後の追い込みがんばってね!」。
偶然というかそれを知ってからか、この ‘lood’ という単語がやたらと耳に入る。’Glas in lood’ はオランダの古い住宅の窓ガラスや引き戸に見られる色ガラスの入った飾り窓。日本語では「ステンドグラス」のこと。あの黒い枠が鉛でできている。
それから、in het lood staan (鉛において立つ)という表現は、「垂直になっている」ことを表す。先日ゲストルームを作るために、屋根裏部屋の壁紙貼りをした。床からまっすぐ垂直になっているかどうかを見るために、糸の先に鉛のついた小道具で調べた。上から垂らし、床までの垂直線を見つける。そこから、この表現がきている。
オランダの住宅の窓で、上に向かって引き上げるタイプの窓は重たくなっているが、それは窓の両脇の枠内にロープで下がった鉛が入っていて、外からは開かないようになっている。だから窓枠の中の「おもり」も lood。
「最後のひと頑張り」は軽くない・・・ということだろうか。演奏会の前でも曲が仕上がる直前というのは一番神経を使って、大変な最後の一歩である。妊婦さんの場合は、実際に重量が重くなるので、引きずるように階段を上る時の感覚と鉛というコトバが妙に合う。


