パレルモ市での滞在

パレルモに来たのはなんと3度目。・・・・の正直で、演奏会が実現してとても嬉しい。

演奏会は非常にうまくいき、音響がとくになんといっても、素晴らしかったので、ギターとフォルテピアノの溶け合う音色に耳を任せて楽しむ事ができた。そして良い新聞批評をいただいて、とても嬉しかった。

パレルモ市は、何度来ても車の多さに少しへきえきする。オランダで1、2ヶ月前くらいに、パレルモの道路のゴミ収集の仕事に従事する人たちのストライキのため、ゴミが2週間近く収集されず、街の中がゴミの山である、というニュースを見ていたので、え、今もストライキ中?と一瞬思ったくらい、あちこちのゴミ袋の山が目につくのが、とっても残念なところであると思う。

大通りのショッピングストリートの近くにホテルがあり、オランダよりもずっとファッショナブルな靴やバッグや洋服や、様々なお店のウインドウショッピングをして楽しんだ。オランダもここ数年、オランダ人女性の服装が昔よりずっとフェミニンな傾向のスタイルになってきたと思うけれど、イタリアのエレガントで洗練された、線の柔らかなデザインが多いのを見ると、オランダにこういうの、ないよなあ、、と何度もため息であった。

出産後はじめて、4日間、子供から離れて滞在。

それはとてもヘンで不自然な感覚であった。到着した次の日から、子供に会いたくて抱っこしたくて、しかたがなかった。でも子供を連れて来ていたら、やはり演奏会に集中しきれなかったかもしれない。4日間のうち、3日間たまたま託児所がある日であったが、彼がしっかり子供の世話をしてくれた。

おかげさまで演奏会はうまくいった。

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サルデーニャでの思い出

・・・サルデーニャ滞在中の演奏会はもう一ヶ月も前になるが、古い教会の石に響く音響の中、なごやかな雰囲気の中でうまくいった。

サルデーニャで思い出に残っている「顔」が二つある。

ひとつは、演奏会があった1321年建立の教会の中で、正面の祭壇の壁に、古く、色あせかかっている天使が何人(どう数えるのかしら?)かあり、その中のひとりの天使の表情である。こぎれいで美しい天使と言う感じではなく、すこしぎょっとするような、古くてすごみが感じられた顔であった。

もうひとつの顔・・・は教会の管理人をしているカルロスさんである。

毎日来たときと帰るときに鍵を開け閉めしてくれた。私が一人で練習をしていた時に、カルロスが入って来て、「君、歌の伴奏もするかい?」らしき事をイタリア語で話しかけてきた。(そう理解した)

「はい、シューベルトとか、モーツァルトとか?」

「うーん、、、そういうのじゃなくて、アンドレ、とか」

「アンドレ?」

「・・・・」

アンドレというのは、イタリアで流行っている歌手らしい。年代は調べていないけれど、歌謡曲か、、演歌系か。。でも知らなかったから、何か歌いたそうなのを感じたので、うーん、どうしよう「イタリア人の知っている歌、、、」と、安易にオー・ソーレ・ミオを弾いてみた。そうしたら、歌いだした!

気持ち良さそうに一回歌い終わって、もっと、、という顔をしているので、さて困った。

もう一曲、、そうそうこれもあった、と「帰れソレントへ」を伴奏したら、歌ってくれた。

カルロスさんに「クレメンティって知ってる?」と聞いたら、「オエー・・・」という顔をした。

イギリスに渡ったクレメンティは、もうイタリア人ではない、と。確かにイタリアの音楽というよりは、イギリスの影響のほうが色濃く出ているからカルロスさんの気持ちはよくわかる。イタリア人はやはり、明るく、朗々と歌いたいのだなあと思う。クレメンティは少し暗い影がある作曲家で、私はそこが好きなのだけれど、サルデーニャにはやはりあまり似合わない。

オランダに住んでいて、イギリスからも近い曇りの日が多い北ヨーロッパでは、クレメンティもしっくりくる。

自分ももし、イタリアに10年住んでいたら、クレメンティなんて、、、と思うのだろうか。