今日のお隣さん

今日、メンデルスゾーンのピアノトリオ、ニ短調の一楽章をハイテンションで一人で練習していた。
実は、生徒が来る少し前だったので、部屋の空気を入れ替えながらと思い、窓も少し開けて、廊下に通じる部屋のドアも開けて。外は雨だし、誰にも何も言われないので(!?)時々窓開けて弾いている。もちろん近所迷惑な話なので、ときどき、ちょっとだけ。(外は10度以下で長いこと開けていたら、フォルテピアノによくない)

ふと手を止めると、同じ音楽がヴァイオリンとチェロパートつきで、聞こえてくるのだ!
え、え、え、どこから聞こえてくるのか?
誰かがCDを聞いている。

このピアノの部屋を10年以上使っているが、こんなに聞こえてくる程の音量でクラシックを聞く隣人は知らない。

同じ曲の同じ楽章を?!

ふとみると、開けたドアの所に見知らぬおじさんが。。。。。。。!
‘Fantastic!’

と親指をあげてにこっと笑い、見てる。

‘Do you live here?’
と弾きながら聞き返すと、(そんなにしゃべれる余裕のある曲ではないので、とっさにこう聞いた)手振りで、いいから続けて、気にしないで続けなさい、という様子で部屋に戻っていってしまった。
この1年ほど、私の隣の部屋はホテルとして貸し出しているようで、週末などに毎回違う観光客らしき人が2、3人で泊まっている。そのおじさんもきっと短期滞在で来たのだろう。

そのうち生徒さんが来て、そのレッスン中にそのおじさんが外に出て行くのが聞こえた。

それにしても、旅行中にたまたまメンデルスゾーンのピアノトリオといういつも、誰でも聞くような曲ではなさそうな音楽を持って来ていて、ホテルと思っていたら隣の部屋からいきなりがーっとうるさい生のピアノが聞こえてきたら、その人もさぞかしびっくりしたことだろう。それもお気に入りの、曲が?おじさんもCDを聞いていて、私がたまたま同じところを弾き始めたのだろうか?!
こんな偶然があるなんて。。。。

同じ曲つながりという偶然から、そのおじさんともっとお話したかったが、レッスンの後私は次のレッスンに出て行って、今日は会えなかった。また明日も滞在していたら会いたい。

WORMでのコンサート

WORMでのコンサートは12月4日に無事終了。
今回のプログラムはお琴の後藤真起子さんとの再共演もあり、琴、フォルテピアノ、電子音楽、チェロ、バスクラリネット、そしてシンバルの即興演奏家という組み合わせ。

真起子さんとは5月に私達のデュオのために作曲された Anna Mikhailova の ‘Shogi. White dragon.’を再演。他には箏曲の「六段」を琴とフォルテピアノで二重奏してみたが、これが賛否両論。(以前にやったときもだったなあ。。。)音の響き的にはこの楽器の組み合わせはとてもきれいと思うのだが、日本の音楽は私にとって、とても難しい。日本人として恥ずかしいが、これは「てんとんしゃん〜」と声で唱えるところからちゃんと習わないといけないのだろう。「六段」という音楽がなかなかつぼを理解できないのだ。あとはピッチがピアノでは揺らせるテクニックはないのでお琴のよう、ではない。ピアノのドレミとは違って琴は微妙に違う音高になっていることもある。真起子さんは、「そのズレがいいのよ」と言ってくださるが。。。日本の音楽はわざとアンサンブルもずらし気味に弾いたり、自由でいいという。

尺八とフォルテピアノという作品を演奏させていただいた時にも、作曲家の言葉として、「きちんと合わせようとしないでください」と何度も言われた。

その日は他にベートーヴェンのソナタ作品49−2の一楽章を私がフォルテピアノで弾き、Gilius van Bergeijk氏のこの作品をもとにした電子音楽作品がテープで流された。「ピ、ポ、バ、ピ、ポ・・・・」音の高さが全く違うが、リズムはそのままで、宇宙から来た音みたいだった。

他に、シンバル演奏家は小型のシンバルに、ケーキのデコレーション(ピンクや白のお砂糖の粒?)や小さいアルファベットパスタを上から降らせて落として、そのサウンドで作られた不思議な世界は微妙な音のグラデーションだった。

そしてHuib Emmer作曲の出演者全員で演奏できる フランツ・リストの「灰色の雲」の編曲で幕を閉じた。ピアノソロの原曲よりも壮大な感じになっていた。

アバンギャルドに慣れているWORMのお客さんにとっては、とってもクラシックなものが聞けたプログラムであったが、クラシックばかり普段聞かれる方にとっては、ハテナ???もあったかもしれない。即興演奏や現代音楽、コンピューター音楽では「音楽」や「曲」というよりも、どんな材質から出る音、どんな波長の音、音そのものが本質的になってきて、自分もFACESでの活動などで即興に触れる機会も増えてきたこの2、3年、音の違う聞き方を学んでいるように思う。

WORMの建物の中の壁と天井は、廃品利用で飛行機の窓の部分が使われている。
座席も飛行機の座席で、昔のタバコの灰皿つきであった。
廃品利用のほうが、現在では高くついたりするそうだ。

これはプラスチックのタンクを使ったトイレ。中に入ると半透明でちょっと落ち着かないかも。。。


建物内のカフェ。

出演者とお客さんのために、ベビーシッターが用意されていたが、WORM内にすごい数のぬいぐるみのスペースが用意されていてそこで子供達が遊んでいた。これには圧倒された。。。

シンタクラースのお祭り

オランダの12月5日は年間行事の中で、女王誕生日についで重要なシンタクラースの日。いうなれば、クリスマスよりも大事な行事である。主に子供のためのものだが、大人まで様々なやり方で祝い、楽しめる。

シンタクラースは日本語のサンタクロースに響きが似ているが違うもので、サンタクロースはオランダ語では kerstman (Christmas man)になる。

シンタクラースは黒人ピートをお供に連れて、蒸気船でスペインからやってくる。
11月の半ばに、「今日、オランダに到着しました」という日が毎年新聞、テレビで報道されて、その日から12月5日まで滞在している。シンタクラースは大きな本を持っていて、そこに名前の載っている良い子のところにきて、プレゼントをくれる。

子供達は、シンタクラースが乗ってくる馬のために、にんじんを靴の中にいれて、暖炉(煙突からシンタクラースが入ってくるので)の所に置いておく。シンタクラースが来ると、ペーパーノーテンやスペキュラース、アルファベットのチョコレートというお菓子をにんじんの代わりに入れておいてくれる。また、シンタクラースはそれぞれの子供に合った内容で、詩を残してくれたりもする。

その詩は韻を踏んで作るのが特徴で、大人になってからグループでパーティをする場合は、誰かにあてて詩を作ってきてプレゼントに添えたりする。

うちの旦那の場合は、子供の頃いつも詩が入っていて、そこには ‘Sint & Piet’より、というサインが Sint と、Piet 違う手で書かれていたという。

去年はまだ何もわからなかった息子も、今年はシンタクラースのお話をちゃんと理解している。シンタクラースの歌もたくさん保育園で習って歌えるようになった。この時期、親のいうセリフでよく聞くのは、、、「いい子にしていないと、シンタクラースからプレゼントもらえないよ」。。。うちもそれが効果あり。

12月5日の ‘pakjesavond’(プレゼントの箱を開ける夜)には、大きな袋のなかから家族それぞれにあてた、プレゼントがぞくぞくと出てくる。(誰が準備したのか?!)

おかげでいい子にしていたのでたくさんのプレゼントをもらって大興奮であった。

子供がいないときによくオランダ人のピアノの生徒さんの親から「シンタクラースの歌をピアノで弾けるようにしてくれませんか」というお話がよくあった。どれだけ大事なのかというのが、子供を持ってやっと一緒に実感できた。このお祭りのいいところは、宗教的ではないオランダ独自のものであるところだろうか。シンタクラースにまつわる楽しい歌もたくさんある。詩を作ることによってそれぞれの個性を考え、頭をひねる。

オランダ中の子供達にシンタクラース一人でプレゼントを配るのは大変なので、「お手伝いシンタクラース」「お手伝いピート」がたくさんいる。この時期になると街の中でお店や市場をうろうろしていたりするのが、楽しい。