’Life is a Dream’ 『人生は夢』続編

前回のブログでは、今年撮影した映画についてざっくりとお知らせいたしました。もっと撮影秘話に興味持ってくださる方、こちらも読んでみてください!

このタイトル『人生は夢』ですが、

これは映画の中でラストに使われているハイドンのドイツ語の歌曲 ‘Das Leben ist ein Traum’ の邦訳です。人生は泡のように儚く、いずれ消えてしまうもの。

解釈の難しい歌詞です。地上に浮遊するからっぽの泡。愛も戯れもいつか消えてしまう。名声を成しても最後に残るのは、墓標の名前のみー

この映画の中では、2箇所ドローンによる撮影がされています。

まさにこの曲の部分(約20’30)、そしてお話が終わってお城を引いていって撮影するところです。素人の私には出来上がりを見てすごい!の一言なのですが、よく見ていただくと、エドモンド君がちょうどこの歌詞を歌っています。(英語訳が選択できます)

「我々はこの世界に入り込み、漂う」 (We slip into the world and float)

そうです、歌手も橋の上で地面から離れ、水の上を漂うカメラは、子役の子供の目線、 夢の一部のようなシーンなのです。

photo: Chiel Meinema

この日、ちょうど風が吹いていました。風に揺れる木や草は、音楽とともに揺れているかのようで良いタイミングだったのですが、そうするとドローンカメラも、風でぐらついてしまうため、とても苦労していました。

この映画で使われた音楽は、演奏したフォルテピアノ(今回は形が四角のタイプで、特にスクエアピアノと呼ばれます)の時代と場所、1829年イギリス、をヒントに選曲されています。イギリスに行き来したメンデルスゾーン(フェリックスとファニー)とハイドン、このようなピアノを実際に弾いていた作曲家達です。

歌手のエドモンド君とキティちゃんの意見も伺いつつ、歌曲5曲、ピアノソロ3曲を演奏しました。

音楽プログラム

ピアノソロ

メンデルスゾーン作曲『無言歌』より Songs without Words

  • OP. 19 – 2 『後悔』(Regrets)
  • OP. 19 – 3 『狩りの歌』(Hunting Song)
  • OP. 19 – 6 『ヴェネツィアのゴンドラの唄』(Venetian Gondellied)

歌曲

  • メンデルスゾーン作曲 『ズライカ』Suleika
  • ハイドン作曲 『共感』Sympathy
  • メンデルスゾーン作曲 『ズライカとハーテム』Suleika und Hatem
  • ハイドン作曲 『見て!あなたがそれを見るでしょう』Guarda qui che lo vedrai
  • ハイドン作曲 『人生は夢だ』Das Leben ist ein Traum

(ピアノソロのタイトルは『ゴンドラの唄』以外は、後の人がつけた通称)


「音楽ビデオ」というのがメインの目的なので、監督のダーン・フレーは常に、’ Music first!’ ということを念頭にしていました。常に、ここどうする? → 熟考 → 結論 というプロセスの繰り返しです。子供がお城の中で見つからないように逃げて、隠れるシーンがあります。それを探そうとする、キティ。

photo: Minus Huynh

例えばここで彼女の階段を歩く足音を入れるかどうか。足音が音楽にかぶさるとどうなるか、音量が小さければ気にならないか、どの音楽をここに使うか。このシーンの撮影中は、足音を別のマイクで追ったわけではなく、カメラの中で入ってくる音のみです。足音を使用する場合は、もう一度録音するか、作るか、そういう音源を探すか。

ストーリーが流れるよう、音楽が流れるよう、常に熟考していました。

音楽と撮影環境という材料のみからインスピレーションを得てストーリーを展開し、フィクション映画を作りあげたのです。

イギリス、ドイツのロマンティックな歌詞に溢れる言葉の数々は、西風に託した恋人への想いや水のきらめき、戯れ、など自然描写も豊かです。イタリア語のデュエットではキューピッドが二人を結びつけるシンボルです。それらを映像化に試みる、とっても斬新的な映画なのではないかと思います。

‘ Nature or Culture ‘ 自然 か文化か、とよくフレー氏は言っています。

自然、とは元々そこにあったもの。

文化、とは後から人が造り上げたもの。

結果的には自然との一体感ある作品になっているのではないでしょうか。

この女の子役で出演しているのは、実は娘です。

photo: Kaoru
photo: Minus Huynh

馬の玩具で遊ぶのが大好きで、それはいつもの自然体のままです。それでも映画となると初めての経験で、大きなカメラが回る中、様々な要求に応え、よく頑張りました。主人は以前の映画 ‘ Aangenomen’ (adopted: 2012) で息子を子役として起用したので、今回は平等に娘にもチャンスを与えたというのもありますが、子供の目線、というものからインスピレーションをたくさん得ているのは確かです。

「この映画の全てを理解する必要はない」と監督のフレー氏は話します。

なぜ?と思う箇所もあるかもしれません。

なぜカンフー!?

と思われたかもしれません!

このカンフーをするヒーローがお姫様を助けてくれるかもしれない、、

photo: Minus Huynh

エドモンド君はカンフーでたくさんの賞を取っており、プロ並みの腕だそう。歌えてカンフーができて、演技力もある歌手。オペラもたくさん勉強したいそう。将来の活躍を期待しています!

長くなってしまいました!

ここで、本当に秘話だと思うのが、1年前には何もなかったのです。

コロナ禍になり、自宅でオンライン授業を受ける子どもたちや授業をする夫、その世話係になってしまった自分に落ち込みました。そこで、5分間のライブコンサートを思いつきました。その会場がこのお城でした。そのライブを見てくれた方は、何万もいません!100人ぐらいの視聴者の中に、香港のKarenがいてくれて、その映像と雰囲気が素敵、ということで今回の依頼をいただきました。そこからどんどんアイデアが発展していき、カレンも音楽祭で今年5本の映画をプロデュースしました。自分のできることを一つ一つ一生懸命やることが、大切なんだ、と改めて感じた出来事です。

美しい自然、お城、音楽、ロマンティックな恋、空に昇っていく目線。

全ては一つの夢。

香港古楽音楽祭のKaren Yeung、この夢の作品を作らせてくれて、ありがとう!

最後に、スタッフの紹介を。

2日間の撮影中に来てくれた写真家のMinus Huynh氏は、撮影現場の写真を撮ったり、私達のポートレートを撮りに来てくださいました。

現場の写真を綺麗に撮ってくださったおかげで、このブログも華やかになりました。ポートレートは、映画の最後の部分に使われていますがレンブラントの光と影を出すような奥行きのある写真を撮る方です。https://www.minus-huynh.com/index.html

完璧な光の差し具合を調整するのに、準備が入念でした。

編集の Elmer Leupen氏は素晴らしい経験と才能で、撮影したフィルム材料を使いこなし、美しい仕上がりへと導いてくれた映像の魔術師です!www.elmerleupen.nl

数々の素晴らしい録音を残されている録音技師のFrans de Rond氏、バッハ協会管弦楽団専属を始め、各種コンサートホール、コンクール等で幅広く活躍される調律師のEduard Bos氏、経験豊富なカメラマンで、以前スェーリンクコレクションでもお世話になったDeen van der Zaken氏、映画監督であり、カメラマンでもあるAndré Kloer氏、ピアノを提供してくださったGeelvinck Fortepiano Collection、ユトレヒト州Loenersloot お城のボランティアのチーム、美味しいランチを作ってくれた Aly’s Biologische catering、

皆さんにお世話になりました。今回は私はピアニストの役をもらった女優でした!

たくさんの方に見ていただけたら嬉しいです。

’Life is a Dream’ 『人生は夢』

‘ Life is a Dream’ (music film) 『人生は夢のよう』(音楽動画)

こんにちは。このブログを訪ねてくださってありがとうございます。

今回特に強調します。だって3年間もサボっていたのですから。

それでもご縁あり、ここを訪ねてきてくださったことに感謝します。私はおかげさまで今も元気にフォルテピアノを弾いています。

そしてこのパンデミック中にも、今年(2021年)は一つ音楽映画を作り上げました。このプロジェクトは第2回香港古楽音楽祭による打診で、オランダの雰囲気の伝わるお城で、スクエアピアノを使った音楽動画を作成してほしい、というものでした。最初のアイデアは、コンサートの録音。ライブでの音楽祭が難しくなりましたものね。

お城内での撮影現場 (写真:Minus Huynh)

主人が映画監督とシナリオ書きの経験があったことを覚えていてくれた、香港映画祭のダイレクター Karen Yeung さんが、撮影に関して、チーム作りと内容について夫のDaan Vreeに任せてくれました。

主人はクラシック音楽の世界には無縁ですが、子供の頃から常にクラシック(特にチェロの音楽)を聴いて育ち、普段の専門大学教師の仕事の合間に、この数年、幾つかの短編映画を撮影しています!

https://vimeo.com/268741859(例えばこちら Hangul Blues『ハングル・ブルース』)

今回、香港の映画祭ということで、香港出身の二人の若い歌手(Edmond Chu, Kitty Lai) と一緒に作ることに。デン・ハーグ音楽院にて勉強中の二人、香港のカレン、主人と私の最初のミーティングは、Zoomでした。少し緊張が漂う中、主人が何かストーリー性のあるものにしたいと提案しました。

出来上がった映画は、とてもユニークなものになりました!

  • フォルテピアノと音楽の良さを感じてもらいたい
  • セリフは少なく、歌の歌詞がストーリーの一部
  • お城の内外を魅せる
  • 周囲の自然の美しさ
  • 子供の目線から描かれている
  • 夢か現実か、、、ファンタジーと隣り合わせ
  • ドイツ語や英語の歌詞を広東語と英語字幕に訳す

撮影期間は経ったの二日間!!

音楽の録画は1日目の2時ぐらいまでに終わらせる、というハードスケジュールの中、タイムスケジュールは分刻みで組まれました。(スケジュール作成に費やす時間のなんと膨大な事)

主人の映画作りの周辺を何度か垣間見ていたので、いかに一つの映画作成が大変かは身に沁みています。大勢のスタッフや機材も必要です。

狂いやすいフォルテピアノのためにスタンバイしてくれるベテラン調律師さん。カメラマン、ライト、録音技師、写真家、タイムキーパー件雑用係 など、一人二役も三役こなすこともありました。

夫はストーリー、シナリオ作成、監督の他、プロダクションに関わる全ての仕事をこなし、大変ではあったけれど、信頼できるスタッフに快く協力してもらうことができ、それをチームにまとめていった力はすごいなあと尊敬します。

(写真:Minus Huynh)

お城のボランティアの方達の協力もなくてはできないものでした。ランチのケータリングも順調に。そして撮影終了後には編集の段階へと続きます。そして色の微調整、様々な方面とのコミュニケーション、翻訳、と長丁場です。といっても2月にミーティングして6月に撮影、7月に提出、10月に初演と、あっという間でした。

(下記写真全て:Minus Huynh)

これらの美しいセット写真が残っているのも、写真家のミヌスさん Minus Huynhが来て撮影の合間に撮ってくださったおかげです。

(写真:Minus Huynh)

いつかどこかで、小さな場所でも、映画祭で、試写会で、オンラインでなく、生の感想を聞かせてもらえる日が来ることを祈っています!

撮影中のエピソードをブログ続編で綴ってみたいと思います。

それでは、ぜひ映画をお楽しみください!!

ポールマンで現代曲

今日は、Pohlman というイギリスの18世紀のスクエアピアノで、この10月にスクエアピアノのために作曲してくれたオランダ人、Bastiaan Egberts氏の曲を録音した。

 

結局は静けさが保てそう、と賭けたこの部屋で。まるで物置。。。

マイク2本で、作曲した方が自ら録音してくださり、そのうちYouTubeにアップする予定でございます。

調律もしたし、今年最後の神経を使うお仕事だったので、終わった後は、気晴らしに久しぶりに街へショッピングに出かける。

 

あさって木曜日は、オランダ中の小中学校でクリスマス・ディナーがある。

昼頃学校終了し、夕方またディナーに学校に出かける。

その時に子供のうちから、きちんと晴れ着で参加。

食事は親が持ち寄る。飾り付けも親。そのための子供の洋服を見に行った。

街はクリスマスのイルミネーションと、プレゼントを買う人々で賑わっている。

今年もいよいよ終わりに近づいている。

 

 

お城でのコンサート

先週の昇天祭月曜日には、ユトレヒト近郊のルーナースロートというこじんまりしたお城で、年に一度のオープンデーに毎時間コンサート、というイベントで演奏させていただく機会をいただいた。

歴史的なお城の中での歴史的なテーブルピアノの演奏という、セッティングで雰囲気からすでに素敵。

 

お城は13世紀に建てられ、1985年に手放されるまで、そのご家族のお宅として使われていた。最後に住まわれた男爵夫人は離婚後、長年一人暮らしだったそう。一人で住むにはすごく大きい!!逸話によると、オイルヒーターの暖房がまだ完備でない頃、夫人は家の中で部屋から部屋へと自転車を乗り回していたそうだ。

オランダっぽい。。

 

15分のミニコンサートということもあり、子供連れも誘いやすく、来やすく早くも予約で一杯。

約60席の天井高めの壁画のあるお部屋に、絵のように治まったブロードウッドのテーブルピアノ(1829年製) 。

・・・と偶然の「ディズニー白雪姫」色スカート。(笑)

 

1時間おきに計6回弾き、360人ほどのお客様にブロードウッドの現役な音色を聞いていただくことができた。プログラムはシューベルトの即興曲から一曲は毎回、(3つのプログラムを用意)他にベートーヴェンのバガテルや、エリーゼのために、楽興の時3番など親しみやすい曲に。

 

子供達、おじいちゃん、おばあちゃん、お友達、生徒さん一家、知り合いの方達も来てくださり、喜んでいただいて、幸せな気持ちになった。幅広い層の方にフォルテピアノの音色を聞いていただけたことが何よりもの喜び。15分で3−5曲というのは、初めて見る、聴く音色には十分な時間である。

普段のコンサートについて考えさせられた。

クラシックって、本当に馴染みやすいのだろうか。敷居の高いプログラム、になっていないだろうか。場合によってプログラムの内容はとても大事。

今回のような場所で、フォルテピアノをたくさんの幅広い層の方に聞いていただけた、ということが自分の幸せ感につながっているのでは、と思う。もっとたくさんの方に素敵なヒストリカルピアノの音色を聞いてもらいたい。。。そういう使命感が達成されたのかもしれない。

 

 

お天気も最高で、広いお庭ではお城見学の後、皆が外で遊んだりお散歩を楽しめる。

 

 

使われていた食器も展示してあったが、オランダの1790年頃のこの地方のもので一枚数十万円の価値とか。ナチュラルな染料の色で、かわいらしい。

 

 

そうそう、驚いたのは、このお城の上の一角には子供連れ家族が住んでいる。それは、ふつーの人で、ユトレヒト市の現在のこのお城の所有である団体が、賃貸している。。。

この壁画の中の隠し扉からもそこに通じているそう。

お城入り口に面した二つの元馬小屋のうちの一つも、改装されて普通の住宅として住まわれている。それで収入になるし、ということ。この方達の住宅環境をまもるためにも、お城は日曜日は公開していない。現在は週に3回ほど、半日から一日だけ公開しているそうだ。

 

おみやげにお城の最後のお住まいだった男爵夫人のものという、100年以上前のコーヒーカップをいただいた。

 

マスタークラス終了

先日のマスタークラスはとても楽しく、学びの多い時間でした。

4人の生徒さんが私のレッスンを受講してくれました。

二人はドイツで初期鍵盤楽器を勉強中の学生さんで、コンクールを受けに来た方。あとひとりはオランダ在住のピアノの先生と、15歳のオランダ人の男の子。

ほぼ皆、Zumpe のスクエアピアノを体験し、一緒に解釈や奏法を試し、その楽器にあう演奏を模索しました。この楽器はグランド型よりどちらかというとクラヴィコードに似ています。

何が似ているかというと、強弱感のリミットがあること、タッチが弦を押す,という部分は似ているが、シングルアクションのスクエアピアノではとてもハンマーが振られてたたいているような感覚までは満たないこと。アーティキュレーションが大事なこと、などなど。

 

ほとんど皆さんがこの楽器、またはオリジナルのウィーン式ピアノZahlerでハイドンの作品を演奏され、他にはデュセックやクーラウの作品があがりました。

この楽器、楽しい!と思ってくださった生徒さんがほとんどでしたが、普段どこで練習できるの?という質問には「うーん」となってしまいます。弾ける状態の楽器があるだけで、貴重ですよね。

ましてやコレクターでない限り、家にこの時代の楽器がある学生さんもいません。クラヴィコードやフォルテピアノ、チェンバロの経験はこの楽器を弾くのに役立ちますが、でもこうして滞在期間中の練習とレッスン,という少ない機会でもそれを体験することによって、インスピレーションを得られることでしょう!

自分はなんて贅沢な環境にいるのだ、と思います。

 

私にとっては3度目のマスタークラス体験でしたが、(前にユトレヒトとフィンランドのクオピオで何人かフォルテピアノやチェンバロのレッスンしました。)さらに良い指導ができるよう、精進したいと思います。時間が限られ、一期一会でも音楽を共有して、クリエイティブな刺激を与え,与えられることが楽しいです。

 

また来年も予定していますので、日本からもどうぞご参加ください。
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フォルテピアノのマスタークラス

この10月に自分がマスタークラスで教えるという機会をいただいた。

実はこのフェスティバルでマスタークラスの講師となるのは、オフィシャルには3年目。

でもマスタークラスって自分で生徒さん,連れてくるらしい。(人気の先生はそんな必要はないだろうけれど)

だから今年は少し自分でフェースブックや、知人の先生グループに宣伝をしてみた。

フライアーこんな感じで。

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この夏、スウェーリンクコレクションのスペースにいくつかのフォルテピアノが増えていることに気づく。そしてよく見ると、1769年製のツンペのテーブルピアノが。

(Zumpe et Buntebart, London 1769 G – f3)

 

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これはイギリスのフィンチコックス博物館に Richard & Katrina Burnett コレクションとしてあったツンペであった。10年ほど前にクレメンティ賞の受賞で訪れた際に、「これがヨハン・クリスチャン・バッハがリサイタルをした当時の楽器!」とそのスペシャルな、決して力強くはないが歴史の重みのある深い、柔らかい、そして細くはないイギリスっぽい音色に酔いしれ、いつかまた弾きにこれたらなあ、と夢に思っていた。その楽器がこちらにやってきた。

昨年フィンチコックスが閉館し、たくさんの楽器がオークションにかけられたが、Geelvinck Museum のオーナーがそこで購入したようだ。

1760年代のツンペで弾ける状態の楽器は、世界中に何台あるのだろうか。

5本の指にも満たないのでは、と察する。

これまでスウェーリンクコレクションの楽器の中で一番古いのは、1770年のPohlman (London)であった。それが昨年使用可能になっただけでも、感動していたのに、さらにツンペがやってきて、このスペースのテーブルピアノ部門は本当に充実している。

現在この場所は、スウェーリンク・コレクションに加え、ヘールフィンク博物館(Geelvinck Museum) の所有楽器も置かれるようになった。

ある資料によると、ツンペは1779年頃までの10年間ほぼ、同じモデルを製作していたそうだ。

 

マスタークラスではKursch (Berlin c.1830, EE – f3) というドイツ製のテーブルピアノも使われる予定。この楽器の最初の印象は、奥行きが狭く、横に長い!

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アクションはイギリス式が入っているようだが、音色は美しいウィーン式グランドのような、軽く透明感のある音。修復したハイスさんによると、「調律が保たなくて、とても困っている」楽器。

音を一音鳴らしてみると、目に見えるほど弦が震える。

そこまで震えるのは、どうしてか。でもそれが狂う原因のようだ、とのこと。

タッチにものすごく気を使う。というのは、sf(スフォルツァート)やフォルテと思われる箇所で、すぐに「限界を超えた?!」と思うような音色が汚くなってしまうポイントがすぐに来る。

すぐに、というのは「こんなに力入れてない程度で、もう?」という感じ。

でもその限界が感じられないと、もっと力強い指でタッチをしても、ピアノは音を出す。

音が出てるから、満足、と思ってもピアノがものすごく狂っていたら、やはり無理な力で弾いていることになる。その加減を知るのが難しい楽器。

弱音も出せるので、少し一段階下のヴォリュームの耳で勉強するのが無難に思える。

ピアノがあげている悲鳴が聞こえるかどうか。

心より、聴くこと。楽器の心も聴いてあげること。

 

マスタークラスは、コンクールの参加者、フォルテピアノを勉強する学生、ピアノ科の学生、ピアノの教師が対象となっている。

今年が間に合わなくても、来年も参加させていただける可能性あると思うので(?)、貴重なチャンスを是非体験してみたいかたは、どうぞお問い合わせください。

ちなみに参加料、無料。

事前に試弾もできます。

 

今年は、コンクール開催中の会場でマスタークラスも行われるので、コンクールで使用される、5オクターブ(Zahler) と6オクターブ(Böhm) のグランド型のオリジナルも舞台にあり、それを弾いてもよいです。

現在3名ほどの申し込みがあるようで、とても楽しみにしています!

 

 

 

 

 

 

「ワーテルローの戦い」プログラム

2015年は、ナポレオンがワーテルローの戦いで負けてから200年の年であった。その戦いにちなんだ音楽を探してみると、思いの外たくさんあり、当時の聴衆が娯楽として音楽を楽しんだ様子が思い浮かぶ。

オランダの作曲家ウィルムス(Johann Wilhelm Wilms) は『ワーテルローの戦いーピアノのためのある歴史の音楽的絵画』という作品はまさにタイトルそのまま、戦争開始の様子から戦い、その後のお祭りの音楽までが、ナレーションの言葉が添えられて描かれている。

7月には日本でも池袋の明日館にて 「東日本大震災復興支援コンサート 」として 梅岡楽器さんとのコラボレーションによって、このプログラムのソロ版を演奏させてもらうことができた。

オランダでは、俳優で歌手であるGuy Sonnen氏とのデュオ版や、ピアノトリオ ベルフォンティスとGuyさんとの4人でのバージョンなど、数回公演した。

各地で大好評をいただき、たくさんのお客様に楽しんでもらうことができた。エンターテイメント的要素の強いプログラムだった。日本でのソロ版はGuyさんのナポレオン姿をご披露できなくて残念だったが、あるお城でのコンサートの写真はこちら。(ピアノはブロードウッド1840年製)

27-09-2015 Belfontis Trio heeswijk

 

guy&kaoru in jagthuis 2015

こちらはHet Jagthuisというアムステルダムより郊外にある街の昔農家で,牛舎小屋を改造して作った演奏会場、の楽屋にて。

Guyさんはかつて、日本の「オランダ村」で今も(?)上映されるための映画「将軍からの贈り物」に主演するため来日したことがあり、日本大好きな俳優さん。

 

kasteel heeswijkKasteel Heeswijk

 

スクエアピアノ・デー

アムステルダムで6月末から7月初めにかけて ‘Amsterdam Virtuosi 2011’ という室内楽フェスティバルが Geelvinck Hinlopen 博物館であり、6月25日の話になるが。。。。「スクエアピアノ・デー」というスクエアピアノに焦点を置いた日があった。なんてマニアックなお祭り、、、でもイギリスのフィンチコックス博物館などは、同じくスクエアピアノに焦点を置いた、もっと本格的な催し物を今年4月にしていた。

スクエアピアノとは:ドイツ語、オランダ語では tafelpiano (テーブルピアノ)と呼ばれる、一見テーブルのような長方形をした、ピアノ。

昨年からスェーリンク・コレクションというアムステルダムにあるフォルテピアノのコレクションの委員となり、そのコレクションの楽器が数台置かれているGeelvinck 博物館では何かとお手伝いをさせてもらっている。この日はコンクールの審査員と新曲発表のプレゼンテーションに参加。

まずはスクエアピアノの演奏コンクール。
第一回目の開催なので、出演者がいるのか?という心配があったが、4人のフォルテピアノの学生、または卒業生が参加。年齢制限もなく、演奏曲目も自由だったので趣味の方が来るかもしれない、、、と思いきや、専門に勉強した演奏者ばかりで、4人4様の選曲、楽器へのアプローチがあり、とても面白かった。
楽器は4台のスクエアピアノがあった。

審査員はほかに、ウィレム・ブロンズ氏、スタンリー・ホッホランド氏、ミヒャエル・ツァルカ氏。私にとってフォルテピアノのコンクールの審査員というのは、初めての経験だったので、審査のディスカッションはとても興味深かった。

私の中では、これは「フォルテピアノの」コンクールなので、普通のピアノとは違う古楽器に合うタッチで弾いて欲しいという気持ちがあった。そして、その楽器の音色をどう引き出せるか。音楽性、技術(ヴィルトゥオージティ)という点ももちろん大事で、その兼ね合いは、本当に難しいと思う。

初対面の審査員のミヒャエル・ツァルカさんが素晴らしい音楽家で、さらに自分の感覚ととても近く参加者についていろいろとお話できたことが、とても素晴らしい経験であった。

夜には、スクエアピアノのために新曲を作曲してもらう、という作曲家のためのコンクールがあった。8曲の応募作品があり、そのうちの6曲が演奏された。

その時のダイジェスト版はこちら。
youtube ‘square for future’ (composition concours)

女性作曲家二人が一位を分けた。

古楽器で演奏することの意味、なぜ普通のピアノでできるのにこの曲をわざわざ古楽器で、、、など様々なディスカッションは古楽の盛んなオランダでも行われる。

作曲コンクールは、そんな視点ではなく、作曲家が特定のこのスクエアピアノのために作品を作ろう、と思いその特性にあった音楽を作る。出来上がった作品は、特別な調律を要求するようなモダンピアノでは不可能なものであったり、お琴との組み合わせの音色などは、モダンピアノではまったく別の印象の作品になる。

楽器の「個性」を最大限に使って作品を書いてくれた作曲家に、ありがとう、、、と伝えたい。この楽器でしかできないことを、したよ、と。
存在する曲を演奏するのでなく、オートクチュールで新調されたドレスみたく、楽器にしっくりくる音楽がクリエイトされたことに感動した。

楽器の魅力を感じてこのフェスティバルの動機に賛同して、日夜準備し続けたオーガナイザー、スタッフ、作曲家、演奏家と皆の情熱と貢献に拍手、、、

来年もこのフェスティバルが開催され、たくさんの方にこの楽器の魅力を知っていただけたら、と思う。日本では見ることはもちろん、音色が聞けることというのは本当にまれであると思う。眠っているスクエアピアノが日本にあったら、ぜひ眠りから覚まして、その美しさをお披露目してもらいたいと思う。

お琴とフォルテピアノの出会い

 
 この演奏会はフォルテピアノが演奏会で頻繁に使用されている、数少ない場所でもあるヘールフィンク・ヒンローペンハウスという博物館にて行われた。1787年製のブンテバルトというテーブルピアノに、19世紀初期のブロードウッドのテーブルピアノ、それに1848年のロンドンのエラールという3台が現在演奏会で使用可能である。元々は、アムステルダムのコンセルバトリーに常設してあった、スウェーリンク・コレクションというフォルテピアノコレクションからの楽器であったが、音大が引っ越しした後に楽器コレクションの置き場はなくなってしまったため、コレクションは現在ではいくつかの場所に分散してしまった。

 この博物館にもらわれた(置かせてもらっている)3台はとても幸運な楽器である。今では移って来た当時とでは比べ物にならないぐらい、命が甦り、声を発し、歌を歌えるようになった。最初の頃の半分眠った、ちょっとふてくされたような楽器が、笑顔になったように感じる。
 楽器の調整はまだする余地はあるが、フォルテピアノの学生から卒業生まで何度も演奏会に使われ、愛情を注がれて、17世紀そのままのような見事な内装の建物内で、絵のように美しく納まり、でも活きた音楽を奏でられている。

 
 現在3月末までの「日本展」の一環で、昨年ダイレクターの方に何か日本の楽器を取り入れた演奏会をしたいのだけれど、良い案はないかしらと相談されたのが始まりだった。最初は邦楽の演奏という案も紹介したのだが、結局フォルテピアノと共演してしまったらどうか、と思った。
 お琴はピッチの問題はA=410だろうが440ヘルツだろうが何でもすぐに変えることができ、調律法もフレキシブルであることがわかった。だが、まったく文化背景の違うところで育った楽器。デュオは可能なのだろうか?! という疑問で一杯だった。

 一柳慧氏の作品がすでに存在するらしい。それはエラールで演奏してみよう。
さらに、あと4ヶ月ほどしかないというところで、どなたかこのデュオのために作品を作曲してくださる方はいないだろうかと探した。オランダ人女性作曲家のミランダ・ドリーセンさんが約束できないけれど、実験的にぜひやってみたいと快くお返事してくださった。そして、曲が間に合った!

 ミランダの作品はテーブルピアノのために作曲してもらった。5オクターブの楽器で、ダンパーとリュートストップ、さらにテーブルの右半分の上部のふたが開閉できるタイプの楽器である。

 ミランダの作品はシンプルでコミカルなイメージが最初と最後の自由なダイアローグ的部分に挟まれている構成である。それぞれの楽器の奏法を生かした作品で、特に彼女の指定した調律法によって和音の響きが面白くなる!

 調律法は独特のもので、ここで全ては書かないがよくこういう調律法まで考えられるのだなあ、と感心するばかりである。
 

 ただ、、ただ、、、調律に約1時間はみる。。。前日にも一度、当日の朝と直前にもダブルチェックした。。。さらにこの調律法にすると、ハイドンのソナタは弾けなくなった。。。のでプログラムも実はこの作品をいただいた後に変更した。ドレミファソ、、、が普通のドレミ、、のようには鳴らない。

 一柳氏の作品とは全く違うキャラクターであり、どちらも演奏することによって、とても幅のあるプログラムとなった。

 リハーサルしてみると、お琴はとてもシャープな音から柔らかい音、爪を使うのも使わないのも可能、強弱もエラールのグランドピアノに負けないフォルティシシモからテーブルピアノにぴったりな音量にできたりと臨機応変。
「びーん」とか「じゃじゃじゃん、、、」という爪ではじく、腰の入った日本的な響きはかっこいい!

 結果、大好評に終わり、お琴とフォルテピアノの素晴らしい出会いの日はたくさんの方が聴きに来てくれて、皆で共有できたことがとても嬉しかった。特に、素晴らしい曲を作曲してくださったミランダ、ありがとう!

 

 (3月21日にミランダの曲は再演予定。同じ場所で4時から。25分くらいのプログラムなのでたくさんはできないが、もしご都合のつく方はどうぞ!プログラムの半分はオランダ人女優二人による「枕草子」劇である。)

Astor piano?

知人がこんな写真を送ってくれた。

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アメリカ、ヴァージニアにある第5代目大統領ジェームス・モンロー(1758-1831, 任期1817-25)の家にあったピアノだそうだ。

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一見、典型的なイギリスの1800年頃のテーブルピアノ。

でもメーカーのAstor (London)というのは聞いたことがない。ブロードウッド(当時の有名なイギリスのメーカー)といわれてもおかしくないそっくりさである。

当時、小さなメーカーは大きなメーカーと同じ部品を使用してピアノを製作することもあったと聞く。または、有名なメーカーの楽器を修復して、その後には自分の名前をプレートに入れてしまったか。

とにかく、Astor氏はどのような楽器を作った、または修復したのか、演奏可能であれば、音を出してみたいという思いにかられる。

ちょっと調べてみると、面白い手紙をインターネットでみつけた。

Read “the letters about the Astor piano (source: New York Times)

一つ目の手紙は、ブロードウッド社が、’Astor & Broadwood’ というパートナーシップはない、という事実をロンドンタイムズ誌に知らせている。二つ目の手紙では、Astor氏はブロードウッド社にピアノを注文しており、7月か8月にはニューヨークへ船便で送りたいとのことである。1795年の手紙。もしかしてこのピアノがモンロー大統領のピアノになったのかしら?

この手紙を書いた Astor、ジョン・ジェイコブ・アスター(1763-1848)、、、実はアメリカ最初の億万長者で、貿易から富を築いた人であった。

ということで、アスターピアノは、製作者ではなく、購入したアスター氏が自分の名前を入れて売っていたのであった。。。

それにしてもジェームス・モンロー大統領はイギリスのピアノを所有していたなんて、弾くためか、贅沢品として買ったのか、どちらにしても、素敵な趣味をもっていたのだ。