マギーポディウム in Mozarthof

「かおるのマギーポディウム」(家族、子供向けフォルテピアノコンサート)をモーツァルトホーフという学校で、モーツァルトの誕生日の1月27日に演奏してきました!

モーツァルトホーフはスペシャル教育(speciale onderwijs)が行われる、日本でいう特別支援学校に当たります。ここに通うすべての子供達が、ダウン症や、何らかの障害を持ち、学びが困難な子供たちが一般学校よりもゆっくりと、それぞれの子供の能力に合わせた教育を受けています。

このコンサートはお話やシアター的要素もあり、ただ聴いてもらうコンサートと違い、一緒に参加して楽しい時間を過ごしてもらうための企画です。

私の主戦力、シュタインモデルのフォルテピアノを車に積んで、いざ目的地へと向かいます。

この体育館、さあみてください。

舞台の先生、音楽の先生のご協力で黒いカーテンで外光を遮り、舞台照明とカラフルな照明で、雰囲気がガラッと変身しました!

さて、いよいよ第一グループが入場してきました。

中に入った途端に「わー!」「ワオ!」

外見にはどんな障害を持っているかわからない子も多かったです。音に敏感だということで、遮音用のヘッドフォンをつけている子がどのグループにもいました。

最初は緊張感がありましたが、始まってくると皆熱心に聴き入ってくれました。子供たちの反応の素晴らしいこと!!!

ダウン症の子供たちは音楽にとても敏感なようですね。

マギーポディウムは45分のプログラムが標準で内容盛りだくさんなのですが、事前に学校の音楽と舞台の先生と打ち合わせ、子供たちのレベルと年齢に合わせて200名ほどの全校児童を7グループに分けてくださいました。

プログラムも20分、30分、45分と3種類用意し、その場でさらに柔軟に対応できるよう工夫を凝らして準備しました。

コンサートの中で、「よかったらここは音楽に合わせて踊ってもいいよ!」というと、本当に「えー、いいの?」と言ってすぐに踊り始める子がたくさんいました。今までの経験ではなかなかないことでした。

これまでやってきたマギーポディウムで「踊ってもいいよ!」というとシーン、、と恥ずかしがる場合が多いのです。

でもここでは本当に楽しく踊りだすのです。こちらも嬉しくなり、思いっきり踊ってね!!と内心思いながら伴奏に気持ちが切り替わります。

7回の公演の中で、たくさんのことが印象に残っています。

その中で例えば、ベートーヴェンの「月光」の1楽章をダンパー+モデラートペダル(音色が変わる)をオンにして演奏するのですが、曲が終わると通常拍手があったり、言葉を発したり、体を動かしたりの反応がありました。

あるグループの時、その中にはダウン症の子供が多かったのですが、最後の音が消えていくまで、私もずーっと聞き続け、普段以上に長い最後の音、消えた後の余韻を聴き続けました。もう音は終わっている。。。それなのになんと長いこと誰も何も、物音を発しないのです。大抵は雰囲気で自分が音を止める瞬間を決めます。でもこの回では、演奏中からただならぬ深い静けさを感じ、終わってからも長い沈黙。

そうなんです、信じがたいくらい皆が音色を聴き入ってくれて、感じ入り、内面に反応しているのでしょうか。誰もそれを止めないし、自由に反芻しているのです。いうなれば、彼らの感受性にはコントロールというバリアが少ないのです。感じたら、そのまま、感じるまま。まるで無重力でどこまでも続く時間のようでした。

それぞれの子供が違う表現方法を持ち、彼らの外側にいる私たちに伝達されます。

私はこの時の、感じ続けてくれている沈黙の瞬間を一生忘れないことでしょう。涙が出そうなくらい胸がいっぱいになりましたが、次の動作へと自分が移りました。

マギーポディウムの中で、モーツァルトからのお手紙を読んでもらうときがあります。あらかじめ先生と打ち合わせて、このグループは「読む」ことが難しい、とかこのクラスは年齢15から20歳ぐらいまでで読める子も何人かいる、と確認してからスタートしました。子供が読まない時は、先生が読み、そしてほとんどの回で、専門の手話の先生が来て、お手紙の内容を同時に示してくださいました。本当に先生方の熱心なご協力には感謝です。

ある回の時、手を上げてお手紙を読みたいという子がおり、その子はフォルテピアノを触ってみたい、という時も手を上げて熱心だったので、読んでもらうことにしました。でも読むのは難しかったらしく、一つ一つ単語を読むのに、とても時間をかけて、手紙を読み終わるのに数分かかりました。みんなじっと静かに待ちました。その我慢強さにまた感銘を受けました。

読み終わった時、クラスの子供達が「よくやった!」と拍手で讃えました。

常に互いにリスペクトしあい、頑張っているクラスメートの努力をサポートしていました。その子も皆の前で緊張しながらも、頑張ったことを誇りに思ったことでしょう。

手紙を読んでくれた子供の年齢は後で聞くと、14歳でした。体は自分の8歳の娘と変わらないくらいの身長で、読むスピードは5歳ぐらいの年齢というところでしょうか。でもこのように障害がない子供の標準と比較することは無意味なことです。彼女の努力と好奇心、鋭い感受性が居心地の良いこの空間で保護され、安全にゆっくりと成長しているのです。

魂の触れ合いのようなものを、この学校空間ではとても感じました。

ストレートに感受性がぶつかり合い、「楽しい」という気持ちをお互いに交換しました。

印象に残った出来事が多すぎて、圧倒され、消化するのに時間がかかりました。

またの機会に書きたいと思います!

ある日のピアノの苦労

普段あまり、文句はいいたくない(と心がけているつもり)方なのだが、今回はあまりにも逆上して、でも抑えて、こらえて、何事もなかったかのようにコンサートを終わらせようと努力したけれど、でも後味もずっと残っている、、、ことがある。

ある大切なプライベートのパーティにピアノトリオで呼んでいただき、リクエストでメンデルスゾーンの一番を弾くことになった。

結果的には、大成功で本当に皆さんに喜んでいただけた。

 

問題は、、、そのベヒシュタインのグランドピアノを会場にレンタルしてくれたピアノ屋さん。調律とオーバーホールも手がけるらしい。モダンピアノを弾き慣れていないので、重いピアノだったらメンデルスゾーンの早いパッセージなんて弾けない。そのため、数週間前に一度試弾に行った。すごーく、狂っている。一年以上調律してない&弾いてない感じ。話によると、最近弦を全て新しくしたから、とのこと。もうすぐのコンサートまでに、安定するのだろうか?!

「2週間後にもう一度来たいので、それまでに調律していただけますか?あとイントネーションの違うこの変を少しそろえてもらえませんか?」と一応丁寧にお願いする。

 

2週間後。何にもしていない。。。。

パーティを企画するKちゃんに、(お金を払う)お父様には内緒にしてね、と2回目にもピアノが変わってない状態を話したら、逆上して、別のピアノ知ってるから、試弾してきて、と。それも試弾にいく。たまたま夜の10時に、、、、その時にしかもうできないというので。。。偶然近い場所だったのでそれはできた。

それはヤマハのG3で、調律はずっと良く、タッチもずっと揃っていたが、音色の面白みに欠けると思ってしまった。音色はベヒシュタインのほうがよかった。もしあのピアノが当日までに調律されるなら、、、それに賭けたい、と思った。それにそのヤマハのほうがレンタル料が高く、お金を出す方に急な変更を知らせるのも、気がひけた。ベヒで行く!と意気込んで、必ず調律をするようお願いすることに。

 

彼の理由1。「レンタル料に、事前調律は含まれていません」

(なに〜〜〜)

これがわかったのが、コンサート3日前。

 

Kちゃんが調律一回分を追加で払うことを彼に話して、合計3回の調律を当日までにすることを約束。

彼は「コンサートでは、全ての音がちゃんと並んでいることを約束する」と私にも話した同じ言葉を断言。

 

前日練習、、、、今も狂ったまんま。

彼の理由2。弦を張り替えたばかり。ーーー>それも1年前ということがわかる。それから調律してないってこと??

さらに付け加えると、事前に練習に来た私に、ちょっと当惑気味。あまりウェルカムな雰囲気ではなかった。モダンピアノで事前に見に来る人って、いないものなのだろうか?

 

ヴァイオリンとチェロの二人も話の過程で心配になって当日到着。

ベースのオクターブでさえびゅーんとうなるのを聞いて、みな静かに逆上。。。

Kちゃんは彼と裏で話に行く。

「震えが抑えられないぐらい、怒りながら、でも話した」そう。

「全ての音が並ぶ、と約束したでしょう?」

 

で、彼の一言「お金を払わないなら、ピアノに鍵締めて、持って帰るよ」

 

このメンタリティーって何でしょう?開き直り?

オランダ人にしても、普通じゃないです。

弦が新しいかろうが、誰にでもわかる狂いを直せなかったのだから、そのピアノをオファーするべきではなかったと思う。

企画者は、よけいにお金も払ったのに問題解決されず、嫌な気持ちだけが皆に残った。理解不能。。。

 

でも素晴らしい音楽が私を奮い立たせ、演奏中は集中でき、無実なお客様には音楽だけを届けることができた。

いや、あの怒りパワーを、音楽に救いを求める形で結果的に表現としてぶつけたのかもしれない。

 

どうするのがよかったのか、未だにわからない。

もっと早いうちにピアノを変更するべきだったか。

彼が次回来るまでに調律してくれるだろう、という甘えがいけなかったか。お金に含まれているかどうか、の確認。調律しても直らない問題が残る楽器なのかどうかの確認? でも最高の状態のピアノを提供しようとするのが、ピアノ屋さんのお仕事ではないのかなあ。。?

 

う〜ん、学ぶべきレッスンだったのだろう。

モダンピアノで弾くことによって学んだことは大きい。身体の使い方の違いを、改めて認識できたり、自分の好みの音色やタッチのピアノを見直す良い機会ともなった。

今日のお隣さん

今日、メンデルスゾーンのピアノトリオ、ニ短調の一楽章をハイテンションで一人で練習していた。
実は、生徒が来る少し前だったので、部屋の空気を入れ替えながらと思い、窓も少し開けて、廊下に通じる部屋のドアも開けて。外は雨だし、誰にも何も言われないので(!?)時々窓開けて弾いている。もちろん近所迷惑な話なので、ときどき、ちょっとだけ。(外は10度以下で長いこと開けていたら、フォルテピアノによくない)

ふと手を止めると、同じ音楽がヴァイオリンとチェロパートつきで、聞こえてくるのだ!
え、え、え、どこから聞こえてくるのか?
誰かがCDを聞いている。

このピアノの部屋を10年以上使っているが、こんなに聞こえてくる程の音量でクラシックを聞く隣人は知らない。

同じ曲の同じ楽章を?!

ふとみると、開けたドアの所に見知らぬおじさんが。。。。。。。!
‘Fantastic!’

と親指をあげてにこっと笑い、見てる。

‘Do you live here?’
と弾きながら聞き返すと、(そんなにしゃべれる余裕のある曲ではないので、とっさにこう聞いた)手振りで、いいから続けて、気にしないで続けなさい、という様子で部屋に戻っていってしまった。
この1年ほど、私の隣の部屋はホテルとして貸し出しているようで、週末などに毎回違う観光客らしき人が2、3人で泊まっている。そのおじさんもきっと短期滞在で来たのだろう。

そのうち生徒さんが来て、そのレッスン中にそのおじさんが外に出て行くのが聞こえた。

それにしても、旅行中にたまたまメンデルスゾーンのピアノトリオといういつも、誰でも聞くような曲ではなさそうな音楽を持って来ていて、ホテルと思っていたら隣の部屋からいきなりがーっとうるさい生のピアノが聞こえてきたら、その人もさぞかしびっくりしたことだろう。それもお気に入りの、曲が?おじさんもCDを聞いていて、私がたまたま同じところを弾き始めたのだろうか?!
こんな偶然があるなんて。。。。

同じ曲つながりという偶然から、そのおじさんともっとお話したかったが、レッスンの後私は次のレッスンに出て行って、今日は会えなかった。また明日も滞在していたら会いたい。

生徒さんのお話

夏休みが終わると、生徒さんのレッスン再開。
私のピアノお稽古場はコンセルトヘボウの楽屋入り口につながる通りにあり、とても贅沢な地域である。
幸い家賃が上がらない契約なのがありがたい。

その地域の近所に住むオランダ人M君はうちにもう数年レッスンに来ているが、何せこのアムステルダム中心地の旧南地区 Oud-Zuid (Old-South)に住む裕福な家の男の子で夏休みのみやげ話もいつもすごい。

今13歳だが、小さい頃はいつも オペア(Au Pair)と呼ばれる住み込みの子供の世話をするお手伝いの人に連れられて来た。
歩いて1分のところに住んでいても一人で歩かせないためである。3人兄妹で両親が共稼ぎ。そんな家族は家の中に一部屋余裕があると、お手伝いさんを住み込ませる。その家族に来ていたのはポーランド人で、住み込みしながら、英語の勉強に来ていた25歳前後の女性だった。

小さい頃から、夏休みが始まるとすぐに飛行機で外国へ。イタリアや南仏というのはもう、よくある話で、彼らはタイやニューヨークにも行っていたし、この前の冬は北極の側まで行って北極クマを見てきたそうだ。
2月の最後の週のクロッカスホリデーにはほぼ毎年スキー合宿。

今年はアリゾナ州のグランドキャニオンに家族で数週間と、ロンドンにクラスメートと一週間英語の勉強とスポーツを毎日するコースに参加したそうだ。
習い事はテニスにサッカー、前は柔道もやっていて、そしてピアノ。一時期はキーボードの打ち方をコーチする人が家に来ていた。すごく凝った飾りのついたTシャツを着ていたり、太陽の光が強すぎないように調節する眼鏡をかけていたり、とにかく頭もよく、お洋服もかっこよく、お話も上手でスポーツマンな秀才君だ。(いかに練習できなかったか、の説明もうまい)

オランダの学校の夏休みには宿題が出ない!
そして皆、家族と数週間ぎっしりキャンプに行ったり、旅行に行ったりする。
M君の場合、長期休暇でなくてもほぼ毎週末、郊外にある自然に囲まれた別荘に行き、おじいちゃん、おばあちゃんにもそこで合流したりしている。

小さなうちから世界中のあちこちにぽんっと旅行して、様々なことを経験しているだけあってスケールの大きな子である。
オランダ人は質素で倹約、あまりおしゃれに興味がない、というイメージもあるが、普段は倹約して、夏休みには長く休暇を取り、思い切り楽しむ。そういうメリハリが合理的だけれど、オランダの良い面だと思う。

日本ではなぜ夏休みにあんなにたくさん宿題があったのだろう?
水泳教室や、学校に行く日もあったりと、学校から完全に離れるときがない。親にとっては夏休み数週間子供達と旅行、というのは楽しみでもあるが、仕事を休むことになる。

私は家族で旅行をした、という思い出が少ない。
近所の公園で父や弟と遊んだ事、父のジョギングについていって毎週走った頃のコト、茨城の祖父母の家に行った事、家族でデパートへのお買い物。。。北海道の祖父母の所へ何度か行って大自然に触れたことは強く印象に残っている。それは多分、数日、と長かったのであちこち出かけた。

オランダ育ちのうちの彼には、「君はホリデーを経験したことがない」と言われる。

私の育った環境はあまり旅行はなかったが、父の転勤で大阪や岡山県にも住んだ。それで違う地域を体験したのは今思うととても貴重である。子供ながらに言葉を変えて話し、気候や人々、校風の違いに驚いた。

日本は長期休暇の習慣はヨーロッパほどは根付いていないだろう。
オランダ人に教え始めた頃は休暇の多さがいやだったが、最近ではゆとりの取り方を学ばされる。
オランダ人の子供はとってものびのびしていて、自発性と個性が強い。
休暇が多いからといって、上達の仕方がすごく遅れるわけでもないのだ。

火山灰から知ったコリアンダー事情

その日は夕食に友人が来る予定で、タイカレーを作ろうと思ったのだが、トッピングする新鮮なコリアンダーを買いにいつもの近所のイスラム系のお店に行ったが、置いてなかった。
アイスランドからの火山灰の影響で航空便がストップしているため、モロッコから来ているハーブ類を切らしているそうだ。聞いてみるとお店の経営者はモロッコ人だった。
いつも感じのいいおじさんで、その日はいろいろとお話してくれた。ラム肉などはオランダ国内で手に入るらしい。

コリアンダーがわざわざモロッコから空輸されていたとは知らなかった。
バジルやミントはイスラエルからの空輸だそうだ。
確かに、オランダの日照時間は短いから、ハーブ作りに向いている国とはいえない。

おじさんの話では、飛行機がストップしているため、タクシーでアムステルダムからバルセロナまで行った人がいて、3500ユーロ払ったとか。。。!

しょうがないのでスーパーマーケットに行ったら、真空パックのケニア産のものが売っていた。
スーパーは火山灰事件よりも前にすでに仕入れてあったということか。

話はそれるが、最近、自転車でちょっと帰りに寄り道をして、イスラム系の人々が住む地域のオープンマーケットに行った。トルコ人、モロッコ人が多く住み、様々な食材が売っている。そして安い!たまたま店が閉まる時間帯だったのもあるが、バナナはスーパーでは数本で1.5ユーロくらいするが、そこではカメルーン産のモンキーバナナが10本くらいで1ユーロだった。

「これは小さくて、熟れきっていて、甘いのかなあ、この値段で美味しいバナナだったら、また来るぞ。。」

そして味見。
意外と甘くなかった。。。。。

それは蜂蜜をたっぷり入れたバナナケーキになった。
バナナケーキ用にまた買いに行くだろう。

サルデーニャでの思い出

・・・サルデーニャ滞在中の演奏会はもう一ヶ月も前になるが、古い教会の石に響く音響の中、なごやかな雰囲気の中でうまくいった。

サルデーニャで思い出に残っている「顔」が二つある。

ひとつは、演奏会があった1321年建立の教会の中で、正面の祭壇の壁に、古く、色あせかかっている天使が何人(どう数えるのかしら?)かあり、その中のひとりの天使の表情である。こぎれいで美しい天使と言う感じではなく、すこしぎょっとするような、古くてすごみが感じられた顔であった。

もうひとつの顔・・・は教会の管理人をしているカルロスさんである。

毎日来たときと帰るときに鍵を開け閉めしてくれた。私が一人で練習をしていた時に、カルロスが入って来て、「君、歌の伴奏もするかい?」らしき事をイタリア語で話しかけてきた。(そう理解した)

「はい、シューベルトとか、モーツァルトとか?」

「うーん、、、そういうのじゃなくて、アンドレ、とか」

「アンドレ?」

「・・・・」

アンドレというのは、イタリアで流行っている歌手らしい。年代は調べていないけれど、歌謡曲か、、演歌系か。。でも知らなかったから、何か歌いたそうなのを感じたので、うーん、どうしよう「イタリア人の知っている歌、、、」と、安易にオー・ソーレ・ミオを弾いてみた。そうしたら、歌いだした!

気持ち良さそうに一回歌い終わって、もっと、、という顔をしているので、さて困った。

もう一曲、、そうそうこれもあった、と「帰れソレントへ」を伴奏したら、歌ってくれた。

カルロスさんに「クレメンティって知ってる?」と聞いたら、「オエー・・・」という顔をした。

イギリスに渡ったクレメンティは、もうイタリア人ではない、と。確かにイタリアの音楽というよりは、イギリスの影響のほうが色濃く出ているからカルロスさんの気持ちはよくわかる。イタリア人はやはり、明るく、朗々と歌いたいのだなあと思う。クレメンティは少し暗い影がある作曲家で、私はそこが好きなのだけれど、サルデーニャにはやはりあまり似合わない。

オランダに住んでいて、イギリスからも近い曇りの日が多い北ヨーロッパでは、クレメンティもしっくりくる。

自分ももし、イタリアに10年住んでいたら、クレメンティなんて、、、と思うのだろうか。