「冬の旅」への旅

シューベルト歌曲集「冬の旅」。

11月19日のシューベルトの220年の命日に自分の「冬の旅」デビューを果たした。

「冬の旅」の旅の第一歩を踏み出すことができたのも、いろいろなご縁とお声をかけてくださった方のお陰である。共演のGuy さんより、以前この本をプレゼントにいただいた。

 

普段英語の本を読み切る能力は???なのに、がんばってこれは読もうと張り切った。言葉も調べて読んでいるつもりだが、やはり自然科学や歴史、絵画、様々な分野の教養、知識、専門用語が多く、そう簡単に進まない。内容の濃さと興味で、読みたい気持ちはあるのだが、英語力がついていかない。。(汗)

 

そしてこの8月に東京のヤマハで日本語訳を発見!

今年の2月に日本で初版が出たばかりで、1年半眺めた英語版に見切りをつけ、即購入!

 

そしてなんとかコンサートの前までに読み、今後も繰り返し目を通そうと思う本である。

リート伴奏で大事なのはやはり、ドイツ語の意味の把握、音楽と言葉の抑揚の一体感を感じることなので、本を読むことが目的ではないのだが、でもボストリッジの演奏家としての経験と観察力から書かれる冬の旅の分析は、とても興味深く、彼の教養の幅広さと鋭さ、繊細さにはもうほれっぱなし。彼の演奏も本当に心に浸みいる。エモーションがダイレクトに伝わってきて、長年愛聴していたフィシャー=ディースカウとはまた違う新鮮な良さがある。

オランダのスクエアピアノ、1830年頃の楽器で、親密さと「スピーク」できる感覚がたまらなく、お客様にもとても喜んでいただくことができた。

リート伴奏は楽しい!24曲の構成、フォルテピアノでの演奏、テンポ構成、伴奏法、詩の意味、様々な観点から興味の尽きない作品である。Guyさんとの共演も続けていきたいが、一生のうちには両手指くらいのたくさんの歌手の方と「冬の旅」を勉強して、様々な声域でも機会があったら演奏してみたいなあ、と密かな目標を持っている。

 

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マスタークラス終了

先日のマスタークラスはとても楽しく、学びの多い時間でした。

4人の生徒さんが私のレッスンを受講してくれました。

二人はドイツで初期鍵盤楽器を勉強中の学生さんで、コンクールを受けに来た方。あとひとりはオランダ在住のピアノの先生と、15歳のオランダ人の男の子。

ほぼ皆、Zumpe のスクエアピアノを体験し、一緒に解釈や奏法を試し、その楽器にあう演奏を模索しました。この楽器はグランド型よりどちらかというとクラヴィコードに似ています。

何が似ているかというと、強弱感のリミットがあること、タッチが弦を押す,という部分は似ているが、シングルアクションのスクエアピアノではとてもハンマーが振られてたたいているような感覚までは満たないこと。アーティキュレーションが大事なこと、などなど。

 

ほとんど皆さんがこの楽器、またはオリジナルのウィーン式ピアノZahlerでハイドンの作品を演奏され、他にはデュセックやクーラウの作品があがりました。

この楽器、楽しい!と思ってくださった生徒さんがほとんどでしたが、普段どこで練習できるの?という質問には「うーん」となってしまいます。弾ける状態の楽器があるだけで、貴重ですよね。

ましてやコレクターでない限り、家にこの時代の楽器がある学生さんもいません。クラヴィコードやフォルテピアノ、チェンバロの経験はこの楽器を弾くのに役立ちますが、でもこうして滞在期間中の練習とレッスン,という少ない機会でもそれを体験することによって、インスピレーションを得られることでしょう!

自分はなんて贅沢な環境にいるのだ、と思います。

 

私にとっては3度目のマスタークラス体験でしたが、(前にユトレヒトとフィンランドのクオピオで何人かフォルテピアノやチェンバロのレッスンしました。)さらに良い指導ができるよう、精進したいと思います。時間が限られ、一期一会でも音楽を共有して、クリエイティブな刺激を与え,与えられることが楽しいです。

 

また来年も予定していますので、日本からもどうぞご参加ください。
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フォルテピアノのマスタークラス

この10月に自分がマスタークラスで教えるという機会をいただいた。

実はこのフェスティバルでマスタークラスの講師となるのは、オフィシャルには3年目。

でもマスタークラスって自分で生徒さん,連れてくるらしい。(人気の先生はそんな必要はないだろうけれど)

だから今年は少し自分でフェースブックや、知人の先生グループに宣伝をしてみた。

フライアーこんな感じで。

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この夏、スウェーリンクコレクションのスペースにいくつかのフォルテピアノが増えていることに気づく。そしてよく見ると、1769年製のツンペのテーブルピアノが。

(Zumpe et Buntebart, London 1769 G – f3)

 

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これはイギリスのフィンチコックス博物館に Richard & Katrina Burnett コレクションとしてあったツンペであった。10年ほど前にクレメンティ賞の受賞で訪れた際に、「これがヨハン・クリスチャン・バッハがリサイタルをした当時の楽器!」とそのスペシャルな、決して力強くはないが歴史の重みのある深い、柔らかい、そして細くはないイギリスっぽい音色に酔いしれ、いつかまた弾きにこれたらなあ、と夢に思っていた。その楽器がこちらにやってきた。

昨年フィンチコックスが閉館し、たくさんの楽器がオークションにかけられたが、Geelvinck Museum のオーナーがそこで購入したようだ。

1760年代のツンペで弾ける状態の楽器は、世界中に何台あるのだろうか。

5本の指にも満たないのでは、と察する。

これまでスウェーリンクコレクションの楽器の中で一番古いのは、1770年のPohlman (London)であった。それが昨年使用可能になっただけでも、感動していたのに、さらにツンペがやってきて、このスペースのテーブルピアノ部門は本当に充実している。

現在この場所は、スウェーリンク・コレクションに加え、ヘールフィンク博物館(Geelvinck Museum) の所有楽器も置かれるようになった。

ある資料によると、ツンペは1779年頃までの10年間ほぼ、同じモデルを製作していたそうだ。

 

マスタークラスではKursch (Berlin c.1830, EE – f3) というドイツ製のテーブルピアノも使われる予定。この楽器の最初の印象は、奥行きが狭く、横に長い!

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アクションはイギリス式が入っているようだが、音色は美しいウィーン式グランドのような、軽く透明感のある音。修復したハイスさんによると、「調律が保たなくて、とても困っている」楽器。

音を一音鳴らしてみると、目に見えるほど弦が震える。

そこまで震えるのは、どうしてか。でもそれが狂う原因のようだ、とのこと。

タッチにものすごく気を使う。というのは、sf(スフォルツァート)やフォルテと思われる箇所で、すぐに「限界を超えた?!」と思うような音色が汚くなってしまうポイントがすぐに来る。

すぐに、というのは「こんなに力入れてない程度で、もう?」という感じ。

でもその限界が感じられないと、もっと力強い指でタッチをしても、ピアノは音を出す。

音が出てるから、満足、と思ってもピアノがものすごく狂っていたら、やはり無理な力で弾いていることになる。その加減を知るのが難しい楽器。

弱音も出せるので、少し一段階下のヴォリュームの耳で勉強するのが無難に思える。

ピアノがあげている悲鳴が聞こえるかどうか。

心より、聴くこと。楽器の心も聴いてあげること。

 

マスタークラスは、コンクールの参加者、フォルテピアノを勉強する学生、ピアノ科の学生、ピアノの教師が対象となっている。

今年が間に合わなくても、来年も参加させていただける可能性あると思うので(?)、貴重なチャンスを是非体験してみたいかたは、どうぞお問い合わせください。

ちなみに参加料、無料。

事前に試弾もできます。

 

今年は、コンクール開催中の会場でマスタークラスも行われるので、コンクールで使用される、5オクターブ(Zahler) と6オクターブ(Böhm) のグランド型のオリジナルも舞台にあり、それを弾いてもよいです。

現在3名ほどの申し込みがあるようで、とても楽しみにしています!

 

 

 

 

 

 

ピアノの発表会で思うこと

この2、3年は約1年に一度のペースで生徒の発表会を企画して来た。
生徒がこういう場を通して、他の人の演奏を聴き、いつもと違う環境で人前で弾く、ということで成長する姿を見るのがとても嬉しい。

続けている生徒さん達は一回ごとに、ものすごく前進している。

先週の日曜日に行い、今回は12名の出演。大人の女性の生徒さんが彼女のパートナーでもあり、プロの俳優さん&歌手であるGuy Sonnen氏とソプラノ&バスバリトンでデュエットを2曲披露して花を添えてくれた!
メンデルスゾーンとシューマンの二重唱作品。
彼女はピアノだけでなく、歌も習い、写真家でもある多趣味な生徒さんである。

そして、締めはGuyさんのソロ、シューマンの『二人の擲弾兵』を動きを交えて歌ってくださり、圧巻。

自分もできるだけちょこっとソロで弾くことにしている。
子ども達にもできるかぎり暗譜でやらせるため、この日ばかりは普段フォルテピアノで「楽譜を置いたままでよい。暗譜の習慣は18世紀にはなかった」などのフォルテピアノ式ではなく、ちゃんと示しをつけるため、暗譜ですることにしている。

今回はショパンのポロネーズ第1番。
むかーし勉強したことがあったのは、大きな貯金となってこういうときにすごく助かる。経験の貯金が多ければ多いほど助かるということも実社会では実感。
音楽に限らず。。。

学生時代、その前に勉強した曲というのは、勉強して暗譜してお蔵入り、というものがほとんどだが、また弾こう、と月日が経って改めて引き出しをあけてみると「ああ、こんな曲もやっていた」「当時こんなことあったな」とか「いくら注意されてもわかってなかった」「この曲は苦労したなあ」「子どもの頃この曲大好きだった」などなど様々な思い出が蘇ってくる。

年をとるにつれて、当時わからなかったことがいつのまにかわかるようになっていたり、できなかったことが、すっとできたりする瞬間の嬉しさ。弾く機会があると、自分も成長できるから、ちょこちょことやって来たことが積み重なると、その経験は確かに自分の糧となっている。昔よりも「わかる」「できる」ことが過去にやった作品を改めて弾くことにより見える。ピアノ続けていてよかったなあ、としみじみと思う。続けていないと、見えてこない。

演奏会に来てくださるお客様はいつも一人の人をずっと追って成長を感じてくれるとは限らない。そういう方ももちろんいて、とても励まされる。変わりつつある部分といつまでも変わらない部分をどちらも感じてくださるだろう。

でも基本的には一期一会と思ってやっている。その時、その成長過程で聴いてくださった方。再会できるかもしれないし、一度きりの瞬間を音楽を通してその日その場で共にした方。

オーボエのアルフレード・ベルナルディーニ氏にかつて言われた言葉が忘れられない。「いつも何千回のうちの一回、と思えばいい」と。もしも満足のいく演奏ができなくても、それができても、たったの一回の出来事。その一回に左右されすぎてあきらめたり、いつまでもくよくよしていてもしょうがない。「完璧」は存在しない、ということ。少し傷があっても、100%に満たないことの積み重ねでも、それは積み重ねられているのだ。

傷モノと思っても、耐久性のほうが、大事ということか。

そう、、、生徒さんにも長く続けてもらいたいな、と思う。
趣味でいい、いつか大人になって同じ楽譜を開いたときにきらめく何かがあとになって、でてくるから☆

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ生誕300年

今年はバッハの息子達の中でも最も才能があったと思われるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの生誕300年にあたる。

6月に小さな会場でそれにちなんだリサイタルを開いた。

タイトルは’ Bach & Bach’ .

バッハが好き、という音楽愛好家は多いがほとんどがヨハン・セバスチァン・バッハの父のほうを指すだろう。やはりカール・フィリップだけではお客さんが来てくれそうにもない。だから父と息子の音楽を比べて聴ける企画にした。

フォルテピアノで主にカール・フィリップ、17世紀イギリスモデルのスピネットで父バッハを演奏。

プログラムはカール・フィリップの「識者と愛好家のための曲集」よりロンドやソナタ2曲、そして「フォリアの主題による変奏曲」、「幻想曲ーカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの心情」。

父バッハはフランス組曲の第5番よりアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、インベンションとシンフォニアよりニ短調、ニ長調、ヘ長調、ヘ短調を並べて演奏した。

カール・フィリップはオリジナルのZahlerというチェコのフォルテピアノ(5オクターブ半)が繊細な心情を表すのに頼もしい私の相棒となってくれた。強弱の差が出せるフォルテピアノとチェンバロのひとまわりヴォリュームの小さいようなスピネットと比べる場合、どんな競争になるかと思いきや、どちらの良さも返って引き立ったようで、どちらもよかったという感想をたくさんいただいた。

音楽としては、カール・フィリップの方が良い作曲家、聴いていて面白いね、という意見も。。。

どちらにも同じタイトルの作品を選ぼうと最初は考えがあったのだが、それが面白いことにほとんどないことがわかった。まさに父の音楽の趣味に反抗していたのだろうか?!

カール・フィリップには組曲、「プレリュード&フーガ」の組み合わせもほとんどないし、カール・フィリップに多い「ロンド」、「ソナタ」は父バッハにほとんどない。(ヴァイオリンのソナタは有名)父バッハは「ファンタジー」と名のつくものは意外と少なく、オルガン曲に少しあるのと、有名な「半音階的ファンタジーとフーガ」などである。スピネットでその曲を試しに練習していたが、今ひとつ迫力に欠ける。

スピネットは豊かな音色が出るが、やはりボディーが小さいため、2段鍵盤のチェンバロにはかなわない。私は常々、それぞれの楽器には「サイズ」があると思っている。

サイズの合わない洋服を着るとその人の良さが出ないのと同じく、作品のサイズと楽器のサイズもマッチしないと、しっくりこない。今回「半音階的ファンタジーとフーガ」をスピネットで演奏したら、スピネットって物足りない楽器だね、この曲って今ひとつな曲? という楽器にも曲にも残念な感想が出かねないのだ。

インヴェンションとシンフォニア、聴きやすく声部の少ないフランス組曲はとても良く楽器が鳴ってくれたと思っている。曲がシンプルで音が少なくても、作曲家の素晴らしさはそのままである。ヘ短調のシンフォニアのなんと深みのある内容。

 

この日のコンサートの落ちは、ちょうどサッカーのワールドカップでオランダが試合する日で、ちょうどコンサートの時間と同じ!控え室の窓から見えるアムステルダムの通りのカフェはオレンジ色でいっぱいで皆、大きな画面を見ている。

サッカーだから来ないというお客様はもちろんいた。(生徒さんの家族一家も:))

来てくれた音楽好きのお客様達には楽しんでいただけたようで、良いコンサートとなった。会場のピアノラ博物館のバーでは、コンサートの終了後、壁にかかった古い大きなオルゴールを当時のコインを入れてまわしてくれた。とても豊かな響きをワインとともに最後まで残っていたお客様数人と堪能した。

 

オランダの文化、芸術への予算削減

オランダの国会は、2013年から2億ユーロ(日本円で約230億円!)の文化、芸術への予算を削減することを決定した。
日曜日の夜、ロッテルダムからハーグまで「文明の行進」(mars der beschaving)と名付けたデモ行進が行われ、約7000人の人々、音楽家のみならず、俳優や博物館、シアター関係者とにかく、反対する気持ちを表すためにたくさんの人が参加した。
さらに、4万人以上の署名を集め、嘆願書まで出した。それらのお誘いのメールもいくつか知人から届き、署名のみ参加した。
月曜日にその論議が行われることになっており、その前に行われたこれらのデモ。
それにもかかわらず、昨日この予算削減が実行されることとなり、とてもとても、失望。

これによって、国からの補助を受けている多くの、オケやアンサンブル、フェスティバル、作曲家達、シアター、文化施設が打撃を受けるのみならず、小中学校の生徒達の博物館や観劇というこれまで行われていた文化的な企画もただで鑑賞することはできなくなるそうだ。
すでに、小さな村の図書館が閉鎖されたりもしていて、なんて残念なことだろうと思う。

フリーランスのアーティスト達にとっても、ただでさえ日々の生活をまかなうのが、大変なことなのに、仕事を失う人、減る人たちが増えるのは必須であり、それによってクリエイトされるはずのものがされなくなる。
感動を与えて、受け取る場が減ることは未来の子供達の情緒の育成にもかかわるだろう。

このところの経費削減では、身体障害者への補助が削減されたりもあったりと、弱い人の立場まで無視されているように思う。

(このニュースの日本語)
http://www.portfolio.nl/nlnews/archives/cat2/

(デモの様子)
http://nos.nl/video/251625-duizenden-demonstreren-tegen-kunstbezuinigingen.html

この決議に負けずに、私たちはできる限りアートを続けていきたいと思う。
政府の援助が減ったら、規模が小さくなるのは目に見えている、、、、ボランティアもしなければ何も始まらないだろう。

まわりにたくさんたくさんいるアーティスト達は、何もないところから何かを創りだしている。
それで感動を生み出す場を作っている。

普段このブログの更新も遅れているが、今日ばかりは何か書かずにはおれなくなった。

風車でのコンサート

17日にアムステルダムの北地区にある風車の中のホールにて、リサイタルをした。

1772年、ちょうど若きベートーヴェンが、ウィーンへの留学に出発した年に建立された風車で、チョークのもとになる石(?)を風車ですりつぶして、チョークを製作していた風車である。

その風車がガラス越しに見えるように、小さなスペースが隣接されており、居心地の良いお庭と、その隣の家にいるクジャクやヤギの動物達がのどかな雰囲気を醸し出す。
天井の高い木目の壁、床、バックのガラスの壁と音響もとても温かく響いた。

60名程のほとんどオランダ人というお客さまも会場の「ダッチさ」に喜んでいた。

「5オクターブの中のベートーヴェン」というシリーズのプログラムで、私のシュタインモデルの楽器5オクターブで演奏できる曲で構成。この機会に、初期の作品2−3のソナタを再び勉強したことは、本当によかった。
 
アルカホリックの父は子供達の世話もできず、16歳で母を亡くしたベートーヴェンが、やっとウィーンで音楽の勉強できた喜び、ハイドンにレッスンを受けられた喜び。
躍動感のつまったハ長調のこのソナタは、恩師ハイドンに捧げられている。

その数年後に作曲した「悲愴」のハ短調は、なんと重苦しい助奏があることか。
すでに耳の異常を感じ始めた、苦労の多いベートーヴェン。

シンプルなフォルテピアノで、ベートーヴェンのストレートな表現をぜひ聞いて欲しいと思う。
たくさん音が重なるとフォルテの厚い和音、右手一声になると弱音でのメロディー、ハイドンやモーツァルトに聞こえてくる、古典派のスタイルがそのまま。フォルテピアノで軽快に弾ける小粋な装飾音。
ベートーヴェンのパッションは楽器を上手に、最大限に使用して表現されている。

楽譜は左から右に読むからか、ピアノを弾いていると、音楽は左から右に流れていくような気もする。(または音符が右に現れて左に消えていく)
でも鍵盤は垂直に打鍵。弦は平行に視界に入る。
出てくる音は垂直、だけでなくあらゆる方向に広がる。
そこにハーモニーの色があったり、鋭いリズムがあったり、音楽は本当に抽象的で、立体的で、つかむ事もできず不思議な、でもたくさんの「気」がつまっていてパワーのあるものである。

自分が音楽を奏でて、人に音の振動が伝わっていくのかと思うと、心地よいもの、美しいもの、温かいもの、パワフルな物、たくさんのよいものを届けられるようでいたいなと思う。