マギーポディウム in Mozarthof

「かおるのマギーポディウム」(家族、子供向けフォルテピアノコンサート)をモーツァルトホーフという学校で、モーツァルトの誕生日の1月27日に演奏してきました!

モーツァルトホーフはスペシャル教育(speciale onderwijs)が行われる、日本でいう特別支援学校に当たります。ここに通うすべての子供達が、ダウン症や、何らかの障害を持ち、学びが困難な子供たちが一般学校よりもゆっくりと、それぞれの子供の能力に合わせた教育を受けています。

このコンサートはお話やシアター的要素もあり、ただ聴いてもらうコンサートと違い、一緒に参加して楽しい時間を過ごしてもらうための企画です。

私の主戦力、シュタインモデルのフォルテピアノを車に積んで、いざ目的地へと向かいます。

この体育館、さあみてください。

舞台の先生、音楽の先生のご協力で黒いカーテンで外光を遮り、舞台照明とカラフルな照明で、雰囲気がガラッと変身しました!

さて、いよいよ第一グループが入場してきました。

中に入った途端に「わー!」「ワオ!」

外見にはどんな障害を持っているかわからない子も多かったです。音に敏感だということで、遮音用のヘッドフォンをつけている子がどのグループにもいました。

最初は緊張感がありましたが、始まってくると皆熱心に聴き入ってくれました。子供たちの反応の素晴らしいこと!!!

ダウン症の子供たちは音楽にとても敏感なようですね。

マギーポディウムは45分のプログラムが標準で内容盛りだくさんなのですが、事前に学校の音楽と舞台の先生と打ち合わせ、子供たちのレベルと年齢に合わせて200名ほどの全校児童を7グループに分けてくださいました。

プログラムも20分、30分、45分と3種類用意し、その場でさらに柔軟に対応できるよう工夫を凝らして準備しました。

コンサートの中で、「よかったらここは音楽に合わせて踊ってもいいよ!」というと、本当に「えー、いいの?」と言ってすぐに踊り始める子がたくさんいました。今までの経験ではなかなかないことでした。

これまでやってきたマギーポディウムで「踊ってもいいよ!」というとシーン、、と恥ずかしがる場合が多いのです。

でもここでは本当に楽しく踊りだすのです。こちらも嬉しくなり、思いっきり踊ってね!!と内心思いながら伴奏に気持ちが切り替わります。

7回の公演の中で、たくさんのことが印象に残っています。

その中で例えば、ベートーヴェンの「月光」の1楽章をダンパー+モデラートペダル(音色が変わる)をオンにして演奏するのですが、曲が終わると通常拍手があったり、言葉を発したり、体を動かしたりの反応がありました。

あるグループの時、その中にはダウン症の子供が多かったのですが、最後の音が消えていくまで、私もずーっと聞き続け、普段以上に長い最後の音、消えた後の余韻を聴き続けました。もう音は終わっている。。。それなのになんと長いこと誰も何も、物音を発しないのです。大抵は雰囲気で自分が音を止める瞬間を決めます。でもこの回では、演奏中からただならぬ深い静けさを感じ、終わってからも長い沈黙。

そうなんです、信じがたいくらい皆が音色を聴き入ってくれて、感じ入り、内面に反応しているのでしょうか。誰もそれを止めないし、自由に反芻しているのです。いうなれば、彼らの感受性にはコントロールというバリアが少ないのです。感じたら、そのまま、感じるまま。まるで無重力でどこまでも続く時間のようでした。

それぞれの子供が違う表現方法を持ち、彼らの外側にいる私たちに伝達されます。

私はこの時の、感じ続けてくれている沈黙の瞬間を一生忘れないことでしょう。涙が出そうなくらい胸がいっぱいになりましたが、次の動作へと自分が移りました。

マギーポディウムの中で、モーツァルトからのお手紙を読んでもらうときがあります。あらかじめ先生と打ち合わせて、このグループは「読む」ことが難しい、とかこのクラスは年齢15から20歳ぐらいまでで読める子も何人かいる、と確認してからスタートしました。子供が読まない時は、先生が読み、そしてほとんどの回で、専門の手話の先生が来て、お手紙の内容を同時に示してくださいました。本当に先生方の熱心なご協力には感謝です。

ある回の時、手を上げてお手紙を読みたいという子がおり、その子はフォルテピアノを触ってみたい、という時も手を上げて熱心だったので、読んでもらうことにしました。でも読むのは難しかったらしく、一つ一つ単語を読むのに、とても時間をかけて、手紙を読み終わるのに数分かかりました。みんなじっと静かに待ちました。その我慢強さにまた感銘を受けました。

読み終わった時、クラスの子供達が「よくやった!」と拍手で讃えました。

常に互いにリスペクトしあい、頑張っているクラスメートの努力をサポートしていました。その子も皆の前で緊張しながらも、頑張ったことを誇りに思ったことでしょう。

手紙を読んでくれた子供の年齢は後で聞くと、14歳でした。体は自分の8歳の娘と変わらないくらいの身長で、読むスピードは5歳ぐらいの年齢というところでしょうか。でもこのように障害がない子供の標準と比較することは無意味なことです。彼女の努力と好奇心、鋭い感受性が居心地の良いこの空間で保護され、安全にゆっくりと成長しているのです。

魂の触れ合いのようなものを、この学校空間ではとても感じました。

ストレートに感受性がぶつかり合い、「楽しい」という気持ちをお互いに交換しました。

印象に残った出来事が多すぎて、圧倒され、消化するのに時間がかかりました。

またの機会に書きたいと思います!

ミュージアム・ナイト in アムステルダム

11月3日(土)は Museum N8 (Nacht – 夜)であった。

これは、アムステルダムの博物館(56館が参加)が夜7時から夜中の2時まで開き、様々な特別な催し物をやっている。毎年開かれ、一週間前にチケットは売り切れだったそう。

http://museumnacht.amsterdam

私はピアノラ博物館で、宣伝も兼ね、20分バージョンのマギーポディウム(9月13日のブログ参照)で2回参加させていただくことに。

 マギーポディウム(facebook いいね👍ボタンお願いします♪)

初演での反省点、隅々まで気が行き届かなかったオランダ語のセリフを初演よりはコンパクト、かつ正しくしようと、息子の前で練習してみると、直されるわ。。。9歳ともなると、オランダ語もきちんとしてきているようで、息子の話す程度の言葉遣いと文章の長さが、子供向けに話すのにはちょうど良い感じであった。

いつも日本語を教えようと、躍起になっている母の真剣さはのれんに腕押し。その代わりちゃんと学校で勉強しているオランダ語は、母の適当な文法で渡り歩いてきたものとは違うきちんとした響きがあり、頼もしく思う。

ミュージアムナイトのピアノラ博物館のところを事前チェックすると、LGBTQ 推薦マークが! レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア の略です。(はい、勉強になりました)

実は本番3日前に、「drag queen のグループの方たちとコラボするのどう思う?すごく美しくて、クラシックの歌曲を歌うの。」という電話があり、「はあ?グループ名?彼らのリンクを送ってくれますか?」などと無知な返事をしたところであった。

(もし私のようにこの言葉を知らない方のために。。。簡単に言うと男性で女装の方)

結局、持ち時間も短いし、コラボするのにリハーサルする時間もないので、自分のプログラムだけ集中するということに。

当日。なんと美しい女装集団が、楽器の調律を終えた頃、続々と到着。

香水がんがんの匂いの中、着替えとお化粧に忙しく、実は胸は毛むくじゃらだったり、ゴツゴツの足にストッキングで超高いハイヒール。。。デーモン閣下顔負けというか、仮想舞踏会の仮面というか、美しい厚化粧。10人近いグループでバックステージが賑わっていた。

「ハ、ハロー。すごい綺麗!」と挨拶してみる。

私のマギーポディウムと、ピアノラ博物館のカスパー・ヤンセンのでモンスレーションの合間に30分ほどのステージを夜中まで演奏していた。

公演を見に来た、自分の子供たちや甥っ子も彼らと写真撮ったり話したりして、、、アムステルダムのコアなところで育つと、こういう夜も5歳と9歳で経験することに。いいのかなあ?!どうなのかなあ?!

彼らのプログラムはまず最初ピアノラの伴奏で、マドンナのマテリアル・ガール合唱。そのあと、グループの一人が懐かしい、音大で必須であったイタリア歌曲集より数曲ソロで歌う。ピアニストの伴奏がとても音楽的で、前奏と後奏で癒される!

 

Vital Stahievitchさんのピアノソロもよかった。(ラフマニノフの前奏曲、スクリャビンのソナタなど)

この日に弾いたスタンリー・ホッホランド氏所有の18世紀のスクエアピアノは2度調律した。スクエアピアノのピンのところに手書きでa、b、c、、と音名があるがとても見にくく、年に2度も調律されるかどうかという状態なので弦が切れないようにすごく気を使ってそうっとピンを回してみる。

ここは味わいのある、アムステルダムらしい博物館で、ヨルダーン地区のお散歩ルートにオススメ!ピアノラミュージアム

 

 

 

恒例のスクールクリスマス・ディナー

もうすぐ冬休み。

オランダではクリスマス前の週末から2週間がいつもの冬休みである。

そしてその週末に入る前の木曜日の夕方!

オランダ中(?)少なくともアムステルダム中の小・中学校では夕方5時頃に学校でクリスマス・ディナーがある。

うちの子供達の学校の場合は、昼12時頃にいつもより早く学校が終了し、一度家に戻り、小綺麗な格好に着替えて、夕方親が持ち寄りのパーティ料理やケーキを持って、再度学校に。

 

いつも木曜日はピアノのレッスンをしていたのだが、毎年この日はどの小学校の子もこの行事があり、レッスン時間帯に着替えたり、親も料理作ったりすることになり忙しいため、キャンセルが相次いだ。いっそのこと、今年からホリデー前の木曜日はレッスンをするのをやめることにした。

夏休み前の木曜日もそうしよう。。。何せ、もう誰もクリスマス支度とホリデーの浮かれ気分でピアノどころではない。さらに親もその日ばたばた。おかげさまで今年は気分もすっきり、前の週に木曜日の最後のレッスンを締めくくり、自分もはじめてゆっくりと子供のためにお寿司を作って持って行った。

もちろん仕事をしているお母さんもたくさんいて、働いている人にとっては、最後の忙しい週に12時に子供を迎えに来て、といわれることがなんとストレスになることだろう。

 

普段は木曜日に学童保育に申し込んでいるので、うちの子達の場合も12時から早めの学童保育へ。4時頃迎えに行って、着替えさせ、学校に連れていった。学童保育(BSO  Buiten schoolse opvang) は学校の予定にあわせて、臨機応変に夕方までは見てくれるのでありがたい。レッスンをキャンセルしてなかった時は、学童保育の先生に学校のディナーに連れていってもらったことも。それも可能。

 

そして私はぎりぎりセーフでジュースを持っていくだけとか、何も持って行かないことに、、、という余裕のない年ばかりであった。子供達の服装はまったくの普段着とか、、、朝からディナー用にびしっと決めることもできなくて、気がまわらなかった。

 

さて、このディナーは4歳児からある。4、5歳のクラスでは2、3人の親が食事のサーブのお手伝いに来るが、7歳以降ぐらいからは子供達と先生のみ。

8、9歳の息子のクラスになると、女のこはメークもしてきたり、まじでドレス、男の子もスーツにネクタイ、蝶ネクタイの子もいて、これがオランダの将来のマナーを教える機会なんだなあ、と思う。

家の子はネクタイなんかいやー、スーツなんかいやー、「普通」がいい、というので、私もまだ子供だし、学校だし、と適当に考えているので新しいブラウスに、初めてズボンのベルトを着けさせてみた。ベルトだって、初めてすると十分きちんとしてる!

 

この機会にクラスから先生への日頃の感謝をこめて、プレゼントを送ったり、クラスの中で何人か楽器を演奏したり、芸を披露する子もいる。

 

ボランティアの親が、クラスの飾り付けを午後中にしている。

テーブルクロス、綺麗な紙皿やコップ、薄暗いライトの中にキャンドルの燈。

もうオランダ人ママ、(だけでなく学校も?)にとっては、この演出とても大事!

日本でいうと、いかに上手にお寿司が作れるか、よりも、いかにかわいい、喜ばれるテーブルセッティングと雰囲気づくりができるか、のほうが食べ物の内容よりも大事。。。と思われる。

 

 

校長先生や先生だって、キラキラのパーティ衣装で現れる!

子供達はお腹いっぱい食べて、楽しくクラスの皆、先生とこのパーティを過ごし、お迎えの6時半頃から親達は外でグリューワインや持ち寄りのワインなどで、夜の野外パーティ。

その間学校の校庭で暗がりの中、嬉しそうに走り回る子供達。。。

親ものんびり、子供達もこの日ばかりは普段の学校ではない緩んだ日を楽しんで、皆ホリデー前を締めくくる。で、もちろんパパ達もたくさん参加している。子供の学校のためには喜んで、というパパの多いこと。クリスマス行事を、家族で祝う25日だけでなく、親も子も、学校の先生方も一緒に楽しみ、自分も仕事をしない木曜日にしたことを心から楽しんだ。。。

 

 

 

 

ポールマンで現代曲

今日は、Pohlman というイギリスの18世紀のスクエアピアノで、この10月にスクエアピアノのために作曲してくれたオランダ人、Bastiaan Egberts氏の曲を録音した。

 

結局は静けさが保てそう、と賭けたこの部屋で。まるで物置。。。

マイク2本で、作曲した方が自ら録音してくださり、そのうちYouTubeにアップする予定でございます。

調律もしたし、今年最後の神経を使うお仕事だったので、終わった後は、気晴らしに久しぶりに街へショッピングに出かける。

 

あさって木曜日は、オランダ中の小中学校でクリスマス・ディナーがある。

昼頃学校終了し、夕方またディナーに学校に出かける。

その時に子供のうちから、きちんと晴れ着で参加。

食事は親が持ち寄る。飾り付けも親。そのための子供の洋服を見に行った。

街はクリスマスのイルミネーションと、プレゼントを買う人々で賑わっている。

今年もいよいよ終わりに近づいている。

 

 

マスタークラス

先日はまたレッスンの機会をいただいた。

おなじみのザーンダイクのオランダ製スクエアピアノ。

1830年製で、タッチにはコツがいる楽器。

 

ここは有名な観光地のザーンセ・スハンスの対岸にあり、オランダの絵のような緑のかわいいお家がザーン川沿いに立ち並ぶ、まさにミニチュアオランダ村のセットにいるような景色。でも実物!今回は電車が止まっていたので、バスに40分揺られてザーンセ・スハンスまで行き、観光客のために作られた風車と、古い緑の木造住宅などを建てたテーマパークの中を子供達を連れて通りぬけ、対岸のホーニヒ・ブレート・ハウスへそこから徒歩10分。

 

ホーニヒ・ブレート・ハウス(Honig Breethuis) のあるLagedijk 通りで12月17日の週末に音楽のお祭りがあった。

通りのお家で、家に(グランド)ピアノがあったり、開放してコンサートに提供できるいくつもの家があり、そこで地元の音楽家がハウスコンサートをしている。オランダ名物の冬のお菓子などの出店も出て、雰囲気も素敵だった。

そこで、ホーニヒ・ブレート・ハウスにある楽器を、地元の若い才能のある音楽家に演奏させてみよう、というアイデアが出て、このフォルテピアノの持ち主が、やたらと古い楽器の取り扱いを知らないピアニストに弾かせたくない、と話が進まなかったそうだ。そこで「カオル、レッスンしてやってくれないか」という話に。私が判断してオーケーが出た人にだけ、弾かせる、という厚い信頼を受け、地元音楽教室に通う、優秀な10代の子達と大人のピアニストの3人の演奏を聞かせてもらいにいくことになる。2度のレッスンでフォルテピアノへの導入と、ちょっとしたコツをアドバイスしながら、少しでも慣れることができるように、弾くのを見守る感じ。

 

うーん、また楽しくて嬉しかった。

16歳の女の子はチェロを弾く妹さんとブラームスのチェロソナタ ホ短調の1楽章を。

16歳でこのブラームスを妹さんと弾いている、素敵な姉妹!最低音のホ音が足りなくて、まずあせる、、、よね。さらにロマンティックに大きく表現豊かに弾いている妹さんとのバランスを取るのが難しい、、、、よね。作品よりも30年も古いピアノなのだから。

もう一人は12歳の男の子。同じくらいの歳の女の子のバイオリニストとシューベルトのソナタの1番、ニ長調1楽章。これはピアノとレパートリーがばっちり合う。ペダルの使い方、モダンピアノと大きく違うなあ、と実感。

彼はモーツァルトのソナタも弾く。楽器に刺激されたらしく、ドビュッシーやリストやいろんな曲を試してみていた。若い世代の柔らかな感性、吸収力はすばらしくて、とても楽しかったようだ。

 

普段18人ぐらいの生徒さんを持っているが、初心者から18歳ぐらいまであとは大人が3人なのだが、選抜クラスにいるような10代の子供達にレッスンするというのは、とてもやりがいのある機会であった。素直に私のいうことに耳を傾けてくれるひた向きな目に、きゅんとしてしまう。。。

ご両親もまた熱心で、温かく見守る姿にこれまでのサポートがあってこそ、こんな若い音楽家が育つんだなあとなぜか親心にも共鳴してしまう。

このチャンスが本当によかった、と私も生徒さんも、ご両親も、博物館の方達も、そして楽器の持ち主も、みんな幸せな気分になったフェスティバルとなった。

フォルテピアノを通してのご縁、ありがとう。

 

新しい流行 スピンナー

「ママー あれ買って〜」

とある水曜日のお迎え時に8歳の息子にせがまれる。

「何、あれ?」

「New rage, spinner!」

オランダでもかっこいい英語ぐらいは子供でも使う。

要するに今一番新しい流行。

そのモノは、二日まえ月曜日の夜6時半からのピアノのレッスン中に9歳の男の子が手にしているのを見たのが初めて。「何、それ?」というと、かっこ良く指に挟んで回してくれた。

私の息子への返事は、

「今週宿題もちゃんとやって、ちゃんとできたら、来週買うかどうか考えるよ」

 

そして木曜日。

この日のお迎えは主人。

夜レッスン後帰宅すると、「スピンナーを探して3件もまわったんだけど、どこも売り切れだよ」

私と意見が違うじゃん。すぐに買ってあげようとするし。。。

「だって持ってないと、かわいそうだから」

「それに、結構ナイスなモノだし」

!!!

 

そして金曜日。

家に二つあるのを発見。

いくつか店をあたったらしい。

一つは息子に,もう一つは4歳の娘にも。

子供は大喜び。

 

そして次の週木曜日。

ネットからタダでできるゲームに、スピンナーが登場していて、父親の携帯でそれを一緒に遊んでいる。数回のタッチで何回回転させたかを競うゲームで、やり始めると、もう一回,もう一回、とスコアをあげるためにやりたくなってしまう。デジタルで回数が表示されるので、実物よりも競争性がある。

その次の月曜日。

2週間前にはなかった生徒さん宅、3時15分と5時20分の生徒宅にも発見。

こうして、2週間でほとんどの子供が持っていると思われるかのスピードで新しい流行は広がっていた。

 

それにしても、何で実物もあるのに、デジタルも必要??

 

オランダの小学校一年生!

息子がこの9月からグループ3、日本でいう、一年生になった。

グループ1、2は幼稚園のような感覚の内容だが、小学校と同じ校舎内にありそのまま3に延長していくようなシステム。

グループ3からが学習の始まり。

アルファベットを毎日一つ以上、週に2、3ぐらいのスピードで学び、それぞれの筆記体で書く練習をしている。さらに母音が含まれた単語例をたくさん発音させ、学ばせている。

例えば’ i ‘ を習うとis, vis, mis, sis.

オランダ語の長母音、aa を学びそれが含まれた単語で練習。 aar, vaar, maar, saar, vaas…

あとは数字に慣れるための問題と、足し算をわかりやすく学んでいるところ。

ときどき工作の時間もあり、体育は週に2回。

週に一度かそれ以下の頻度で担任の先生と歌も歌うようだ。ただ音楽は年間を通して、定期的に外からのスタッフが来て、歌を中心にやるプロジェクトもあり、子どもの行く学校の場合はMuziekgebouw aan ‘t IJ でのコンサートで締めくくる。

アルファベットと計算は、グループ1、2でも予備練習は始まっていた。

7歳のグループ4の子ども達と半々で、合計クラスは25人。

一つ上のグループの子達はもっと難しいことをしていて、基本的にはグループ別に違うことをやっているが、教え合ったり一緒にやる時間もとる。隣のクラスと連携して、グループ3のみ、4のみに分けて隣のクラスとの交流も兼ねて、同じグループのみの時間も儲ける。

いろいろと日本と違うのだが、クラスも少人数で、とても気軽に(?)学習が始まる感じである。

机は5人か6人の寄せ合ったものを5つほど教室内に作り、共同学習がしやすそう。

自分の決まった机の中にいつも入っているのは、今やっているアルファベット練習帳の他に、名前のついた鉛筆一本に消しゴム一個。鉛筆削りが5つのテーブルグループごとに一個。

筆箱を持っていく必要がない。

入学までに何か道具をそろえる、という指示もまったくなく、家での宿題も課されない。

なんだか、親も楽、、、?!

机にはいつも木のサイコロのようなものが入っていて、信号のように、緑の丸、赤の丸、ほかにはクエスチョンマーク『?』の印。勉強中にわからないことがあるときは、『?』を上にして机に置く。

先生は教室をまわっているときに質問のある子のそのマークを見て、『何がわからないの?』と来てくれる。

合理的でわかりやすい^^

自主的に学習させる姿勢が強いように思う。

そうでなかったら、違う年齢とレベルの子ども達を一クラスにはまとめないだろう。

先日、初めての新クラスの保護者会夜7時半。まずはコーヒーか紅茶で一息。先生の案でPharrell Williams の Happyをかけながら教室の中を歩き(またはダンス?!)、音楽が止まったら近くにいる知らない人と自己紹介を互いにする、というスタートだった。3回ほどしかやらなかったので、未だに知らない人もたくさん。でも話した人には親しみが少し持てて、そして音楽で緊張がほぐれて、面白いことするな〜〜〜 またまたさすがオランダ。というよりその担任の先生の考え。子ども達にもそうやってやらせたそうだ。

最近はデジタルボードなので、そういう音楽もYou Tubeでささっと出てくる。

保護者会中デジタルボードの白みの強いあのコンピューター独特の光で目が疲れるなあと思った。

昔使っていたらしい黒板が教室の後ろ、となっている。(明らかに昔はそちらが前、のような位置)

デジボードでコンピューターソフトウェアを教材に併用しているようだ。

新しいことの説明も、グラフィックやアニメーションで説明をするものを見せてもらった。先生もそれを併用すれば、一人で説明して、書いて、、、という時代ではないのだろう。

息子は日本人補修校というのに土曜日だけ通っていて、そこでは昔からの日本式に黒板で勉強している。

ひらがなを中心に学び始め、同じ環境に住むハーフや純日本人のお友達も出来て、とても楽しそう。

生まれたときからここまで成長したかと思うと、感慨深いものがある。

楽しい学校生活が始まるね!

ピアノの発表会で思うこと

この2、3年は約1年に一度のペースで生徒の発表会を企画して来た。
生徒がこういう場を通して、他の人の演奏を聴き、いつもと違う環境で人前で弾く、ということで成長する姿を見るのがとても嬉しい。

続けている生徒さん達は一回ごとに、ものすごく前進している。

先週の日曜日に行い、今回は12名の出演。大人の女性の生徒さんが彼女のパートナーでもあり、プロの俳優さん&歌手であるGuy Sonnen氏とソプラノ&バスバリトンでデュエットを2曲披露して花を添えてくれた!
メンデルスゾーンとシューマンの二重唱作品。
彼女はピアノだけでなく、歌も習い、写真家でもある多趣味な生徒さんである。

そして、締めはGuyさんのソロ、シューマンの『二人の擲弾兵』を動きを交えて歌ってくださり、圧巻。

自分もできるだけちょこっとソロで弾くことにしている。
子ども達にもできるかぎり暗譜でやらせるため、この日ばかりは普段フォルテピアノで「楽譜を置いたままでよい。暗譜の習慣は18世紀にはなかった」などのフォルテピアノ式ではなく、ちゃんと示しをつけるため、暗譜ですることにしている。

今回はショパンのポロネーズ第1番。
むかーし勉強したことがあったのは、大きな貯金となってこういうときにすごく助かる。経験の貯金が多ければ多いほど助かるということも実社会では実感。
音楽に限らず。。。

学生時代、その前に勉強した曲というのは、勉強して暗譜してお蔵入り、というものがほとんどだが、また弾こう、と月日が経って改めて引き出しをあけてみると「ああ、こんな曲もやっていた」「当時こんなことあったな」とか「いくら注意されてもわかってなかった」「この曲は苦労したなあ」「子どもの頃この曲大好きだった」などなど様々な思い出が蘇ってくる。

年をとるにつれて、当時わからなかったことがいつのまにかわかるようになっていたり、できなかったことが、すっとできたりする瞬間の嬉しさ。弾く機会があると、自分も成長できるから、ちょこちょことやって来たことが積み重なると、その経験は確かに自分の糧となっている。昔よりも「わかる」「できる」ことが過去にやった作品を改めて弾くことにより見える。ピアノ続けていてよかったなあ、としみじみと思う。続けていないと、見えてこない。

演奏会に来てくださるお客様はいつも一人の人をずっと追って成長を感じてくれるとは限らない。そういう方ももちろんいて、とても励まされる。変わりつつある部分といつまでも変わらない部分をどちらも感じてくださるだろう。

でも基本的には一期一会と思ってやっている。その時、その成長過程で聴いてくださった方。再会できるかもしれないし、一度きりの瞬間を音楽を通してその日その場で共にした方。

オーボエのアルフレード・ベルナルディーニ氏にかつて言われた言葉が忘れられない。「いつも何千回のうちの一回、と思えばいい」と。もしも満足のいく演奏ができなくても、それができても、たったの一回の出来事。その一回に左右されすぎてあきらめたり、いつまでもくよくよしていてもしょうがない。「完璧」は存在しない、ということ。少し傷があっても、100%に満たないことの積み重ねでも、それは積み重ねられているのだ。

傷モノと思っても、耐久性のほうが、大事ということか。

そう、、、生徒さんにも長く続けてもらいたいな、と思う。
趣味でいい、いつか大人になって同じ楽譜を開いたときにきらめく何かがあとになって、でてくるから☆

「コーンスープ」か「トウモロコシのスープか」

バイリンガルで子育てをするのに、小さな疑問は毎日のようにある。

なるべく日本語とオランダ語の2カ国語に集中するため、日本語の中にたくさん出てくる英語をどうするか、悩む。

例えば「コーンスープ」と言ってしまえば日本では普通のことだが、まず英語の「コーン」という単語はオランダ語では maïs「マイス」、「コーンスープ」は「マイススープ」と言う。

私は「トウモロコシのスープ」と言うようにする。子供がオランダの中学校にあがり英語の「コーン」という単語を学んだら、または自分で知るようになったら使おうと思う。

日本語の「トウモロコシ」という語感とあの黄色いトウモロコシの形のイメージが一致して欲しいからだ。

でも日本語を貫くのにわかりにくい言葉も多いことに気づく。

スポーツの名前なんて、カタカナばかり。水泳では、バタフライも平泳ぎもクロールも、そしてフィギュアスケート、サッカー、アーチェリー、日本語には英語が多いが、これらの単語にはオランダ語特有の言葉がある。例えば野球なんて、ずいぶん長いことオランダ語知らなかった。 ‘honkbal’。ホンクバル?!想像もつかないでしょう??

他に日本語独自の言葉は?と疑問をもったのが「紙ナプキン」。「紙ナプキン」または「紙ナフキン」これが日本語。

オランダ語では servet 「セルヴェット」。

オランダ人はこの「セルヴェット」を日常よく使う。

日本ではテーブルを拭く「ふきん」があって、それで食事中テーブルが汚れたらふいたり、または手を拭くには「おしぼり」がある。日本人は濡れたタオルをよく使う。それを意識し始めたのは、こちらでは紙で済ませることが多いことに気づいたからだ。

保育所の時から、子供達もクラスメートの誕生日パーティには一人づつセルヴェットがある。オランダ人のお宅で食事をすると、必ず置いてある。もちろん日本でも洋食のレストランには置いてある。

ある時、ベビーシッターさんに、「食事の時、手や口を拭くのはこのタオルを濡らして使ってください」と置いて出かける。

床にこぼしたときは、こっちで、と別のタオル。(他に、テーブル用台ふきんもあるのだが、言うのをやめた。)

先日2回、違う二人のオランダ人のベビーシッターさん、どちらも乾いたまま置いておいたタオルが使われていないことに気づいた。

頼んだのにも関わらず。。。

そして、キッチンペーパーやティッシュ、近くに置いてあったセルヴェットを使っていた。

「ふきん」「おしぼり」は日本特有の文化なのだなあ、と思った。

4歳児のクリスマスディナー

オランダの学校(basic school) の1年生は、日本の幼稚園にあたるのだが、ヨーロッパらしく今日19日はクリスマスディナーという行事。

学校は昼で終わり、夕方5時すぎにまたクラスに集まって子供達と先生だけのディナーパーティー。お料理は保護者が手分けして作り、教室の準備、後片付けも保護者が手伝う。

子供も前の日から「明日はクリスマスディナー。一度家に帰って着替えてからまた行くの」

「着替えて」?!

そ、そんな素敵なディナー用のお洋服は用意していません。。。

よくこちらで大人が夜の演奏会や観劇に行く前に、家に戻って「リフレッシュしてくる」という方がいる。身だしなみを夜会用に整えて、出かけ直すのだ。

保育所でも、「パーティ」は度々あった。

クラスの子のお誕生会はもちろん、学校へ行ってしまう子のお別れパーティはとても盛大にやっていた。その度に、テーブルクロス、紙ナプキン、自分の取り皿にナイフとフォーク、造花や子供用の電気キャンドルで飾り、照明も暗くする。皆で大きな長いテーブルに向かい合って座り、大人のパーティ顔負け。

学校のクリスマスディナーに、私は後片付けで参加。

イタリア人のパパが作った美味しそうな大きなピザが余っている!

あちこちにネクタイをした小学生、シルクハットをかぶったり、仮装したり。女の子はショートドレスにタイツが多い!

保護者は校庭で立ってワインを片手に大人のパーティをしている!

1年から4年までのディナーを終えたばかりの子供達と大人達で校庭は大混雑。

この土曜日から冬休みなので、クリスマス飾りはすべて取り去った。

この日はアムステルダムのあちこちの小学校でクリスマスディナーを同じようにやっていたらしい。そして次の日は1時間遅く学校が始まる。

1時間遅く始まることで昨日の余韻を親子共々楽しめるところが、良いと思う。

要するに最後の2、3日は冬休みモードでリラックスしている。まだ小さいから勉強もなくていいけれど、高学年でもおそらくこうなのだ。

オランダ人は親も先生も、パーティ好きで、皆慣れている。

kerstdecoratie in TTschool kl