マギーポディウム in Mozarthof

「かおるのマギーポディウム」(家族、子供向けフォルテピアノコンサート)をモーツァルトホーフという学校で、モーツァルトの誕生日の1月27日に演奏してきました!

モーツァルトホーフはスペシャル教育(speciale onderwijs)が行われる、日本でいう特別支援学校に当たります。ここに通うすべての子供達が、ダウン症や、何らかの障害を持ち、学びが困難な子供たちが一般学校よりもゆっくりと、それぞれの子供の能力に合わせた教育を受けています。

このコンサートはお話やシアター的要素もあり、ただ聴いてもらうコンサートと違い、一緒に参加して楽しい時間を過ごしてもらうための企画です。

私の主戦力、シュタインモデルのフォルテピアノを車に積んで、いざ目的地へと向かいます。

この体育館、さあみてください。

舞台の先生、音楽の先生のご協力で黒いカーテンで外光を遮り、舞台照明とカラフルな照明で、雰囲気がガラッと変身しました!

さて、いよいよ第一グループが入場してきました。

中に入った途端に「わー!」「ワオ!」

外見にはどんな障害を持っているかわからない子も多かったです。音に敏感だということで、遮音用のヘッドフォンをつけている子がどのグループにもいました。

最初は緊張感がありましたが、始まってくると皆熱心に聴き入ってくれました。子供たちの反応の素晴らしいこと!!!

ダウン症の子供たちは音楽にとても敏感なようですね。

マギーポディウムは45分のプログラムが標準で内容盛りだくさんなのですが、事前に学校の音楽と舞台の先生と打ち合わせ、子供たちのレベルと年齢に合わせて200名ほどの全校児童を7グループに分けてくださいました。

プログラムも20分、30分、45分と3種類用意し、その場でさらに柔軟に対応できるよう工夫を凝らして準備しました。

コンサートの中で、「よかったらここは音楽に合わせて踊ってもいいよ!」というと、本当に「えー、いいの?」と言ってすぐに踊り始める子がたくさんいました。今までの経験ではなかなかないことでした。

これまでやってきたマギーポディウムで「踊ってもいいよ!」というとシーン、、と恥ずかしがる場合が多いのです。

でもここでは本当に楽しく踊りだすのです。こちらも嬉しくなり、思いっきり踊ってね!!と内心思いながら伴奏に気持ちが切り替わります。

7回の公演の中で、たくさんのことが印象に残っています。

その中で例えば、ベートーヴェンの「月光」の1楽章をダンパー+モデラートペダル(音色が変わる)をオンにして演奏するのですが、曲が終わると通常拍手があったり、言葉を発したり、体を動かしたりの反応がありました。

あるグループの時、その中にはダウン症の子供が多かったのですが、最後の音が消えていくまで、私もずーっと聞き続け、普段以上に長い最後の音、消えた後の余韻を聴き続けました。もう音は終わっている。。。それなのになんと長いこと誰も何も、物音を発しないのです。大抵は雰囲気で自分が音を止める瞬間を決めます。でもこの回では、演奏中からただならぬ深い静けさを感じ、終わってからも長い沈黙。

そうなんです、信じがたいくらい皆が音色を聴き入ってくれて、感じ入り、内面に反応しているのでしょうか。誰もそれを止めないし、自由に反芻しているのです。いうなれば、彼らの感受性にはコントロールというバリアが少ないのです。感じたら、そのまま、感じるまま。まるで無重力でどこまでも続く時間のようでした。

それぞれの子供が違う表現方法を持ち、彼らの外側にいる私たちに伝達されます。

私はこの時の、感じ続けてくれている沈黙の瞬間を一生忘れないことでしょう。涙が出そうなくらい胸がいっぱいになりましたが、次の動作へと自分が移りました。

マギーポディウムの中で、モーツァルトからのお手紙を読んでもらうときがあります。あらかじめ先生と打ち合わせて、このグループは「読む」ことが難しい、とかこのクラスは年齢15から20歳ぐらいまでで読める子も何人かいる、と確認してからスタートしました。子供が読まない時は、先生が読み、そしてほとんどの回で、専門の手話の先生が来て、お手紙の内容を同時に示してくださいました。本当に先生方の熱心なご協力には感謝です。

ある回の時、手を上げてお手紙を読みたいという子がおり、その子はフォルテピアノを触ってみたい、という時も手を上げて熱心だったので、読んでもらうことにしました。でも読むのは難しかったらしく、一つ一つ単語を読むのに、とても時間をかけて、手紙を読み終わるのに数分かかりました。みんなじっと静かに待ちました。その我慢強さにまた感銘を受けました。

読み終わった時、クラスの子供達が「よくやった!」と拍手で讃えました。

常に互いにリスペクトしあい、頑張っているクラスメートの努力をサポートしていました。その子も皆の前で緊張しながらも、頑張ったことを誇りに思ったことでしょう。

手紙を読んでくれた子供の年齢は後で聞くと、14歳でした。体は自分の8歳の娘と変わらないくらいの身長で、読むスピードは5歳ぐらいの年齢というところでしょうか。でもこのように障害がない子供の標準と比較することは無意味なことです。彼女の努力と好奇心、鋭い感受性が居心地の良いこの空間で保護され、安全にゆっくりと成長しているのです。

魂の触れ合いのようなものを、この学校空間ではとても感じました。

ストレートに感受性がぶつかり合い、「楽しい」という気持ちをお互いに交換しました。

印象に残った出来事が多すぎて、圧倒され、消化するのに時間がかかりました。

またの機会に書きたいと思います!

オランダでお節

2022年、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

寅年、気持ちを新たに、ブログにオランダ生活について、時々、お伝えしていこうと思います。

今年の冬は小中学校がちょうど、冬休みに入るという一週間前にロックダウンの発表があり、小学校は一週間予定よりも早く休みとなりました。

ロックダウンで家人が多いのに慣れてはきたものの、やはり子供が家にいたら、仕事しにくくなります。子供達を全く構わないわけには行かず、放っておいて何時間もテレビやゲームに夢中になられても困りますよね。

お友達と遊ぶ約束を入れたり、努力はしますがやはり家で過ごす時間が増え、子供も大人も運動不足が増すばかり。

オリーボレン

さて、オランダで過ごす大晦日は、恒例のオリーボレン(オリーボルの複数形。揚げたボール型ドーナツ)と発泡酒、おつまみでもあれば十分なので、準備は気楽です。さらに今年はご近所さんが招待してくださったので、うちはそれらを持参しました。

オランダはクリスマスを家族と過ごし、大晦日は友人や近所の人と過ごすことが多いようです。このパーティの多い時期も、大人3人まで(家族の子供は数えない)の訪問が許されていたので、集まるとしても少人数でした。

昨年からは恒例の花火も禁止となり、小さい花火しか買えなくなり、年明けの瞬間もずいぶん静かになりました。

うちは主人が4人兄弟なので、それぞれのパートナーや子供たち、義父母も集まると大家族です。ところが義父母はオミクロンも怖いし、集まるのはやめようということに。

もう2年以上、大家族では集まっていません。

やはり寂しいものですね。

さて、表題のおせちですが、大したことは書けないので、昆布巻きに初挑戦したお話を。

昆布は、何もおかずがない、と思っても乾燥昆布を戻してジャガイモ(オランダなので、これはよく家に常備)と和風に煮ただけでも美味しいので、日本に育っていない子供たちも、うちでは大好きになっています。

昆布巻きには、かんぴょうというものが普通は必要で、さらに中にはニシンとか鮭とか入れますよね。私の育った茨城の環境では、ニシンで、昆布を分厚く巻いたものでした。

お節のために日本食店まで行くのは、相当の労力(?)がいるので、スーパーで買える、サバの燻製を使いました。昆布を巻く、かんぴょうがないので、串刺し。笑

それでも、2、3に輪切りにしたら、立派な昆布巻きに見えましたよ!昆布が薄かったですが、サバの燻製も脂がのっていて、こってりと美味しくできました。もう一つの初挑戦は、黒豆作り。中華で買った唯一の黒いお豆なので、立派なものではないのですが、それらしい味になり、感動いたしました! 黒豆作りに三日もかかると思っていなかったので、お節を食べるのが1月2日に。

😅

それだけでは重箱がいっぱいにならず、厚焼き卵を焼いてみたり、ローストビーフにクリームチーズのようなものを挟んだオードブル、カニカマを詰めたりなどして隙間を減らし、、日本酒で乾杯すると、やはり日本人にとっては大切な節目だなあ、と心が満たされます。

煮物、酢の物のハスは、中華屋さんの冷凍ですが、これはとても重宝しています。

さつまいもに、甘みをつけて茶巾絞りも。あとはタラを焼いてみました。

前に結婚祝いにお友達に頂いた重箱、、、小さめですが立派な塗りの3段重ねを、初めて使用するという、、、(!)10年前に頂いて大切にしまっていました。とうとう日の目を見て、ありがたく使わせてもらいました。四角の箱に入れると、なぜか身が引き締まります。豪勢ではないですが、それらしくなりました。

お餅もなかったのですけれど、まさに、重箱の隅もつついてみて、いただきました。

ポールマンで現代曲

今日は、Pohlman というイギリスの18世紀のスクエアピアノで、この10月にスクエアピアノのために作曲してくれたオランダ人、Bastiaan Egberts氏の曲を録音した。

 

結局は静けさが保てそう、と賭けたこの部屋で。まるで物置。。。

マイク2本で、作曲した方が自ら録音してくださり、そのうちYouTubeにアップする予定でございます。

調律もしたし、今年最後の神経を使うお仕事だったので、終わった後は、気晴らしに久しぶりに街へショッピングに出かける。

 

あさって木曜日は、オランダ中の小中学校でクリスマス・ディナーがある。

昼頃学校終了し、夕方またディナーに学校に出かける。

その時に子供のうちから、きちんと晴れ着で参加。

食事は親が持ち寄る。飾り付けも親。そのための子供の洋服を見に行った。

街はクリスマスのイルミネーションと、プレゼントを買う人々で賑わっている。

今年もいよいよ終わりに近づいている。

 

 

オランダの小学校一年生!

息子がこの9月からグループ3、日本でいう、一年生になった。

グループ1、2は幼稚園のような感覚の内容だが、小学校と同じ校舎内にありそのまま3に延長していくようなシステム。

グループ3からが学習の始まり。

アルファベットを毎日一つ以上、週に2、3ぐらいのスピードで学び、それぞれの筆記体で書く練習をしている。さらに母音が含まれた単語例をたくさん発音させ、学ばせている。

例えば’ i ‘ を習うとis, vis, mis, sis.

オランダ語の長母音、aa を学びそれが含まれた単語で練習。 aar, vaar, maar, saar, vaas…

あとは数字に慣れるための問題と、足し算をわかりやすく学んでいるところ。

ときどき工作の時間もあり、体育は週に2回。

週に一度かそれ以下の頻度で担任の先生と歌も歌うようだ。ただ音楽は年間を通して、定期的に外からのスタッフが来て、歌を中心にやるプロジェクトもあり、子どもの行く学校の場合はMuziekgebouw aan ‘t IJ でのコンサートで締めくくる。

アルファベットと計算は、グループ1、2でも予備練習は始まっていた。

7歳のグループ4の子ども達と半々で、合計クラスは25人。

一つ上のグループの子達はもっと難しいことをしていて、基本的にはグループ別に違うことをやっているが、教え合ったり一緒にやる時間もとる。隣のクラスと連携して、グループ3のみ、4のみに分けて隣のクラスとの交流も兼ねて、同じグループのみの時間も儲ける。

いろいろと日本と違うのだが、クラスも少人数で、とても気軽に(?)学習が始まる感じである。

机は5人か6人の寄せ合ったものを5つほど教室内に作り、共同学習がしやすそう。

自分の決まった机の中にいつも入っているのは、今やっているアルファベット練習帳の他に、名前のついた鉛筆一本に消しゴム一個。鉛筆削りが5つのテーブルグループごとに一個。

筆箱を持っていく必要がない。

入学までに何か道具をそろえる、という指示もまったくなく、家での宿題も課されない。

なんだか、親も楽、、、?!

机にはいつも木のサイコロのようなものが入っていて、信号のように、緑の丸、赤の丸、ほかにはクエスチョンマーク『?』の印。勉強中にわからないことがあるときは、『?』を上にして机に置く。

先生は教室をまわっているときに質問のある子のそのマークを見て、『何がわからないの?』と来てくれる。

合理的でわかりやすい^^

自主的に学習させる姿勢が強いように思う。

そうでなかったら、違う年齢とレベルの子ども達を一クラスにはまとめないだろう。

先日、初めての新クラスの保護者会夜7時半。まずはコーヒーか紅茶で一息。先生の案でPharrell Williams の Happyをかけながら教室の中を歩き(またはダンス?!)、音楽が止まったら近くにいる知らない人と自己紹介を互いにする、というスタートだった。3回ほどしかやらなかったので、未だに知らない人もたくさん。でも話した人には親しみが少し持てて、そして音楽で緊張がほぐれて、面白いことするな〜〜〜 またまたさすがオランダ。というよりその担任の先生の考え。子ども達にもそうやってやらせたそうだ。

最近はデジタルボードなので、そういう音楽もYou Tubeでささっと出てくる。

保護者会中デジタルボードの白みの強いあのコンピューター独特の光で目が疲れるなあと思った。

昔使っていたらしい黒板が教室の後ろ、となっている。(明らかに昔はそちらが前、のような位置)

デジボードでコンピューターソフトウェアを教材に併用しているようだ。

新しいことの説明も、グラフィックやアニメーションで説明をするものを見せてもらった。先生もそれを併用すれば、一人で説明して、書いて、、、という時代ではないのだろう。

息子は日本人補修校というのに土曜日だけ通っていて、そこでは昔からの日本式に黒板で勉強している。

ひらがなを中心に学び始め、同じ環境に住むハーフや純日本人のお友達も出来て、とても楽しそう。

生まれたときからここまで成長したかと思うと、感慨深いものがある。

楽しい学校生活が始まるね!

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ生誕300年

今年はバッハの息子達の中でも最も才能があったと思われるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの生誕300年にあたる。

6月に小さな会場でそれにちなんだリサイタルを開いた。

タイトルは’ Bach & Bach’ .

バッハが好き、という音楽愛好家は多いがほとんどがヨハン・セバスチァン・バッハの父のほうを指すだろう。やはりカール・フィリップだけではお客さんが来てくれそうにもない。だから父と息子の音楽を比べて聴ける企画にした。

フォルテピアノで主にカール・フィリップ、17世紀イギリスモデルのスピネットで父バッハを演奏。

プログラムはカール・フィリップの「識者と愛好家のための曲集」よりロンドやソナタ2曲、そして「フォリアの主題による変奏曲」、「幻想曲ーカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの心情」。

父バッハはフランス組曲の第5番よりアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、インベンションとシンフォニアよりニ短調、ニ長調、ヘ長調、ヘ短調を並べて演奏した。

カール・フィリップはオリジナルのZahlerというチェコのフォルテピアノ(5オクターブ半)が繊細な心情を表すのに頼もしい私の相棒となってくれた。強弱の差が出せるフォルテピアノとチェンバロのひとまわりヴォリュームの小さいようなスピネットと比べる場合、どんな競争になるかと思いきや、どちらの良さも返って引き立ったようで、どちらもよかったという感想をたくさんいただいた。

音楽としては、カール・フィリップの方が良い作曲家、聴いていて面白いね、という意見も。。。

どちらにも同じタイトルの作品を選ぼうと最初は考えがあったのだが、それが面白いことにほとんどないことがわかった。まさに父の音楽の趣味に反抗していたのだろうか?!

カール・フィリップには組曲、「プレリュード&フーガ」の組み合わせもほとんどないし、カール・フィリップに多い「ロンド」、「ソナタ」は父バッハにほとんどない。(ヴァイオリンのソナタは有名)父バッハは「ファンタジー」と名のつくものは意外と少なく、オルガン曲に少しあるのと、有名な「半音階的ファンタジーとフーガ」などである。スピネットでその曲を試しに練習していたが、今ひとつ迫力に欠ける。

スピネットは豊かな音色が出るが、やはりボディーが小さいため、2段鍵盤のチェンバロにはかなわない。私は常々、それぞれの楽器には「サイズ」があると思っている。

サイズの合わない洋服を着るとその人の良さが出ないのと同じく、作品のサイズと楽器のサイズもマッチしないと、しっくりこない。今回「半音階的ファンタジーとフーガ」をスピネットで演奏したら、スピネットって物足りない楽器だね、この曲って今ひとつな曲? という楽器にも曲にも残念な感想が出かねないのだ。

インヴェンションとシンフォニア、聴きやすく声部の少ないフランス組曲はとても良く楽器が鳴ってくれたと思っている。曲がシンプルで音が少なくても、作曲家の素晴らしさはそのままである。ヘ短調のシンフォニアのなんと深みのある内容。

 

この日のコンサートの落ちは、ちょうどサッカーのワールドカップでオランダが試合する日で、ちょうどコンサートの時間と同じ!控え室の窓から見えるアムステルダムの通りのカフェはオレンジ色でいっぱいで皆、大きな画面を見ている。

サッカーだから来ないというお客様はもちろんいた。(生徒さんの家族一家も:))

来てくれた音楽好きのお客様達には楽しんでいただけたようで、良いコンサートとなった。会場のピアノラ博物館のバーでは、コンサートの終了後、壁にかかった古い大きなオルゴールを当時のコインを入れてまわしてくれた。とても豊かな響きをワインとともに最後まで残っていたお客様数人と堪能した。

 

4歳児のクリスマスディナー

オランダの学校(basic school) の1年生は、日本の幼稚園にあたるのだが、ヨーロッパらしく今日19日はクリスマスディナーという行事。

学校は昼で終わり、夕方5時すぎにまたクラスに集まって子供達と先生だけのディナーパーティー。お料理は保護者が手分けして作り、教室の準備、後片付けも保護者が手伝う。

子供も前の日から「明日はクリスマスディナー。一度家に帰って着替えてからまた行くの」

「着替えて」?!

そ、そんな素敵なディナー用のお洋服は用意していません。。。

よくこちらで大人が夜の演奏会や観劇に行く前に、家に戻って「リフレッシュしてくる」という方がいる。身だしなみを夜会用に整えて、出かけ直すのだ。

保育所でも、「パーティ」は度々あった。

クラスの子のお誕生会はもちろん、学校へ行ってしまう子のお別れパーティはとても盛大にやっていた。その度に、テーブルクロス、紙ナプキン、自分の取り皿にナイフとフォーク、造花や子供用の電気キャンドルで飾り、照明も暗くする。皆で大きな長いテーブルに向かい合って座り、大人のパーティ顔負け。

学校のクリスマスディナーに、私は後片付けで参加。

イタリア人のパパが作った美味しそうな大きなピザが余っている!

あちこちにネクタイをした小学生、シルクハットをかぶったり、仮装したり。女の子はショートドレスにタイツが多い!

保護者は校庭で立ってワインを片手に大人のパーティをしている!

1年から4年までのディナーを終えたばかりの子供達と大人達で校庭は大混雑。

この土曜日から冬休みなので、クリスマス飾りはすべて取り去った。

この日はアムステルダムのあちこちの小学校でクリスマスディナーを同じようにやっていたらしい。そして次の日は1時間遅く学校が始まる。

1時間遅く始まることで昨日の余韻を親子共々楽しめるところが、良いと思う。

要するに最後の2、3日は冬休みモードでリラックスしている。まだ小さいから勉強もなくていいけれど、高学年でもおそらくこうなのだ。

オランダ人は親も先生も、パーティ好きで、皆慣れている。

kerstdecoratie in TTschool kl

運河が凍った!

2月最初の週末確か3日の金曜日に雪がたくさん降り始め、4日は真っ白の銀世界になった。
零下が続き、この調子で2週間行けば、15年ぶりにエルフステーデントホト (elfstedentocht)「オランダ11都市スケートマラソン競技」が行われるかもしれない、と期待に胸を膨らませたオランダ人も多かった。運河の氷が15cmの厚さになったら、決行されるそうで、この15年の間そこまで凍ったことはない。これは運河を伝って11都市をまわるスケート大会である。

それでもこの週末(10、11、12日)は街の中の運河が凍って子供から大人まで皆、普段は上から眺めている運河に降りて、散歩したりスケートしたりと楽しむ人でにぎわった。

運河にうかぶ船の家に住む人たちが、ドリンクサービスする場面も。。。。
温かいココアやブランデー、スープを売っていた。即席カフェで皆でこのわくわくする凍った運河での休日を楽しむ。

プリンセングラハト(運河)の上を歩いた後は、西教会の近くにある、最近リニューアルオープンしたチューリップミュージアムへ。ここは知人の日本人女性建築家、根津幸子さんが内装を手がけていて、明るくてかわいい雰囲気。ここには春が。。。

コンサートのドタキャン

昨日のロッテルダム、WORMでのコンサートはまさにドタキャン。
リハーサルのため会場に到着10分前に電話が。。。
「今日のコンサートはやらないことになったよ」

え?!?!

信じがたいのと電車の中で高まって来た緊張感がどこへ行ったらいいのかわからない。

理由は、新しい場所に移転したWORM が、建物のチェックや様々な許可が金曜の夜に警察官が見に来ておりたけれど、それを書類にもらっていない限りは何もやっちゃだめ、、、とのこと。

土曜日のパフォーマンスも直前キャンセルになったらしい。

土曜日の午後に移動した私のフォルテピアノは使われないまま、日曜日にUターンした。もっと早く教えてくれーー!!!

お客さまへのお知らせなどでしばらくどたばたしたが、皆で経費でお茶させてもらい、わーっとしゃべって心をおさめた。
それにしても、どんなことになってるの!? 
面白い企画が多い場所なので気に入っていたけれど、これはスキャンダル。。。

「今日のコンサートキャンセルになったの」とその日に何人かに話したが、二人のオランダ人が「え?天気がいいから?」と反応。

二人もです。今週は最後の夏日のような24度−26度という快晴の日が続いた。
太陽が出ると、オランダ人は真っ先に日光浴のため外に出たり、カフェのテラスでビールを飲むのが普通なので、それでコンサートに行くのをやめるお客さんが多すぎて中止になったのだろう、という推測からくる反応である。

新しい日程でプログラムは上演予定なので、無事に演奏できることを祈る。

生徒さんのお話

夏休みが終わると、生徒さんのレッスン再開。
私のピアノお稽古場はコンセルトヘボウの楽屋入り口につながる通りにあり、とても贅沢な地域である。
幸い家賃が上がらない契約なのがありがたい。

その地域の近所に住むオランダ人M君はうちにもう数年レッスンに来ているが、何せこのアムステルダム中心地の旧南地区 Oud-Zuid (Old-South)に住む裕福な家の男の子で夏休みのみやげ話もいつもすごい。

今13歳だが、小さい頃はいつも オペア(Au Pair)と呼ばれる住み込みの子供の世話をするお手伝いの人に連れられて来た。
歩いて1分のところに住んでいても一人で歩かせないためである。3人兄妹で両親が共稼ぎ。そんな家族は家の中に一部屋余裕があると、お手伝いさんを住み込ませる。その家族に来ていたのはポーランド人で、住み込みしながら、英語の勉強に来ていた25歳前後の女性だった。

小さい頃から、夏休みが始まるとすぐに飛行機で外国へ。イタリアや南仏というのはもう、よくある話で、彼らはタイやニューヨークにも行っていたし、この前の冬は北極の側まで行って北極クマを見てきたそうだ。
2月の最後の週のクロッカスホリデーにはほぼ毎年スキー合宿。

今年はアリゾナ州のグランドキャニオンに家族で数週間と、ロンドンにクラスメートと一週間英語の勉強とスポーツを毎日するコースに参加したそうだ。
習い事はテニスにサッカー、前は柔道もやっていて、そしてピアノ。一時期はキーボードの打ち方をコーチする人が家に来ていた。すごく凝った飾りのついたTシャツを着ていたり、太陽の光が強すぎないように調節する眼鏡をかけていたり、とにかく頭もよく、お洋服もかっこよく、お話も上手でスポーツマンな秀才君だ。(いかに練習できなかったか、の説明もうまい)

オランダの学校の夏休みには宿題が出ない!
そして皆、家族と数週間ぎっしりキャンプに行ったり、旅行に行ったりする。
M君の場合、長期休暇でなくてもほぼ毎週末、郊外にある自然に囲まれた別荘に行き、おじいちゃん、おばあちゃんにもそこで合流したりしている。

小さなうちから世界中のあちこちにぽんっと旅行して、様々なことを経験しているだけあってスケールの大きな子である。
オランダ人は質素で倹約、あまりおしゃれに興味がない、というイメージもあるが、普段は倹約して、夏休みには長く休暇を取り、思い切り楽しむ。そういうメリハリが合理的だけれど、オランダの良い面だと思う。

日本ではなぜ夏休みにあんなにたくさん宿題があったのだろう?
水泳教室や、学校に行く日もあったりと、学校から完全に離れるときがない。親にとっては夏休み数週間子供達と旅行、というのは楽しみでもあるが、仕事を休むことになる。

私は家族で旅行をした、という思い出が少ない。
近所の公園で父や弟と遊んだ事、父のジョギングについていって毎週走った頃のコト、茨城の祖父母の家に行った事、家族でデパートへのお買い物。。。北海道の祖父母の所へ何度か行って大自然に触れたことは強く印象に残っている。それは多分、数日、と長かったのであちこち出かけた。

オランダ育ちのうちの彼には、「君はホリデーを経験したことがない」と言われる。

私の育った環境はあまり旅行はなかったが、父の転勤で大阪や岡山県にも住んだ。それで違う地域を体験したのは今思うととても貴重である。子供ながらに言葉を変えて話し、気候や人々、校風の違いに驚いた。

日本は長期休暇の習慣はヨーロッパほどは根付いていないだろう。
オランダ人に教え始めた頃は休暇の多さがいやだったが、最近ではゆとりの取り方を学ばされる。
オランダ人の子供はとってものびのびしていて、自発性と個性が強い。
休暇が多いからといって、上達の仕方がすごく遅れるわけでもないのだ。